仁木町の望郷樹

 開拓の鍬がうち下ろされてから100年をすぎた仁木町。当時の開拓者はすでに世を去られたが、その頃の人々が故郷の樹木を心の拠りどころにと、徳島県や山口県などから取りよせた苗木はそれぞれ開墾地の神社や寺に、また自宅の庭さきなどに植え込まれた。それは遠い昔を思い出せる記念の樹となって今に残されているものがある。

 大江神社の赤松、仁木神社や仁玄寺の欅[けやき]、無量寿寺の公孫樹[イチョウ]、関井家庭園の樅[もみ]の木などはその最たるものであろう。

●大江神社の赤松 余市川右岸の段丘上に鎮座している大江神社、その大鳥居を覆うように20本近い赤松が枝をさし交わしている。
 その赤味がかった太い幹のうねりと黒ずんだ常緑の樹冠は、鎮守の森というにいかにもふさわしい。
 水野光雄氏の調査によると大江神社の境内はもろ開拓事務所のあったところ。そこで執務していた粟屋貞一氏が郷里の山口県から移植されたもので、その樹齢は推定100年に及び中でも大きいものは、胸高の周囲2mに達している。

●仁木神社の欅 社殿の西隅にどっしりとその腰をすえこみ、思う存分樹冠を広げながらじっと仁木平原を見守っているかのようである。
 胸高の周囲2.8mにおよぶこの巨樹は、関井信雄氏によるとせん先々代の関井善平氏が郷里徳島県から移植したもので、その樹齢は80年をはるかに超えているという。神域にはその他幹の周りが2mを超える数本の唐松、それに加えて幾本かの黒松の老木がそれぞれの由来を秘めているが、頂白山を背景に鎮まる社の神厳さを一層深めている。

●仁玄寺の欅 仁玄寺本堂前の欅は幹の周囲3.8m、その太い腰の上に樹冠を空いっぱいに広げている。その自由奔放に育った姿は自然の造形美とも言うべく、道南を除いた北海道内でこれ程大きくそして樹姿の整っている欅は他に見られないであろう。この木は仁木神社のそれと同様関井善平氏が植えたものであるという。

●無量寿寺の公孫樹 無量寿寺本堂前の公孫樹は、胸高の周囲3mに近い。その黄葉が秋空に映える頃には余市や然別方面からでもそれと分かるほど大振りである。
 誰がいつ頃植えたのか今のところわからない。しかし無量寿寺の創立は明治29年(1896)であり、その後改築されたことなどを考えに入れても、その樹齢は80年はくだるまいと推定される。近年樹冠が広がり過ぎたと考えてか、その太枝を数本も伐り払ったので自然の樹姿を著しく損ねたように見える。なお系だには公孫樹と同年代に植えられたと思われる黒松の老木が数本、思い思いにくねって境内に趣を添えている。

●関井氏庭園の樅の木 関井信雄氏の庭園にはオンコ、桂、楓[かえで]などの中に樅の木が一本空を衝いている。その胸高の周囲は2mを超えるほどで道内でも珍しい巨木である。
 関井善平氏は郷里の徳島県から欅や樅の苗木を取り寄せ、仁木神社、仁玄寺、仁木小学校などに欅を、自宅の庭には、欅と樅をそれぞれ移植した。以来90年、仁木小学校と自宅の庭の欅は失われたが、仁木神社や仁玄寺の欅そして自宅の樅の木がいずれも関井善平氏の相受けているかのように、逞しい姿で生き続けている。

 この仁木町に今に残っているこれらの記念の樹は開拓者にとって故郷を偲ぶ望郷樹であり、われわれにとっては開拓の面影を語りかけてくれる、語り部とも言うべきであろうか。

大江神社境内の赤松の森(樹齢およそ100年)

出典:図書「ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1991(H3).3, p50-51: 19仁木町の望郷樹 --- 初出: 仁木町広報1983(S58).2

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