仁木町銀山は、開拓時代から馬群別と呼ばれていたところであるが、昭和48年(1973)3月、同じ地域内にある国鉄函館本線の駅名にならって銀山と改められた。 銀山駅は明治38年(1905)1月、開通した当時の北海道鉄道会社が、この付近にあったルベシベ鉱山や大富鉱山(銀山市街の...
徳島藩の二代目藩主であった蜂須賀忠英が慶安3年(1650年)、領地内を巡視したおり、たまたま阿波郡(現在市場町)の土地柄をみて、あまりにも未開の山地や原野が多いのに驚き、藩内の農業生産を高め年貢収入を増加させるためにも、広々とした原野を開墾しなくてはならなぬと考えた。 元...
仁木町(仁木地区)は、明治12年11月、阿波[あわ]国(徳島県)から仁木竹吉に引率された農業移民団370余名が、はじめてこの地を踏んでから今年で満110年目を迎える。 「厭[いと]うまじ君の国との為なれば、身は北海の土となるとも」と、今は仁木町の開祖として町民から仰がれて...
昔から「四百四病」といわれるように病気の数はすこぶる多い。 われわれの心身をおびやかす数多い病から何とかして逃れる方法はないものか、人間は大昔から必死になってこの問題に取り組んできた。 どうしたら病気に罹[かか]らないか、どうしたら早く治せるだろうかと。 その...
南と西と北の三方は山をめぐらし、東は余市川を距てて仁木の市街にのぞんでいる砥の川は、かってアイヌ語でルイオツ(砥石の出るところの意)と呼ばれていた所でこれが現在の地名のもとになったものと言われている。 砥の川へ和人がはじめて入植したのが明治23年(1890)頃とされている...