小学校卒業記念写真

 明治時代の終わりころから大正時代にかけての仁木小学校卒業記念写真が筆者の手もとにある。その中で最も古いのは明治43年3月公立仁木尋常高等小学校尋常科19回卒業生21名のものであるが、それを見ると、男子児童は縞やかすりの着物に羽織はかま姿、女子は紋つきが目だち、えび茶や紺と思われる袴をきりっと締めている。大方が徳島県出身移民の第二世である。

 写真の前列左から3人目が第二代目の学校長林駒太郎氏で、つめ襟服の下から提時計の鎖をのぞかせ、メリケン型の短靴をはいた姿は時代を思わせる。

 当時の仁木小学校は児童数もふえて300名近くなり、校舎を増築したり学級数も3学級から5学級にした。

 林駒太郎校長は、率先して体育に野球をとり入れたり、学校の農業実習地に当時としては珍しいトマトやセロリなどの西洋野菜を試作させたりして新しいものに対する姿勢を示したという。

 明治14年8月、林校長は大江村(現仁木町)管内の各小学校と協力して『大江村地史』を編纂した。現在この地史は『仁木町有形文化財』に指定され仁木町教育委員会に永久保存されている。

  明治43年卒業生
 大塚金吾 大森金蔵  林トヨノ
 中川岩衛 増田利之助 安崎ヨメ
 松田憲雄 熊谷喜代松 猪俣シメ
 吉田生一 井内庫太郎 三間(栗産)
 西岡 要 山本傳次郎 藤田利平
 柏尾一松 広瀬アサノ 大野 碧
 湯浅源七 内藤コヨシ 中村イサノ
 以上21名



 昭和2年3月、仁木尋常高等小学校尋常科第36回卒業生は、男子34名、女子22名で、下の写真がその大正時代最後の卒業記念写真である。

 学校長(千葉長男)をはじめ教職員や来賓が並び、羽織袴姿の児童らがこれを囲んでいる。その姿は明治時代とさほど変わらないが、男子の中には2,3洋服があらわれ、女子の髪型が皆おさげ髪に変った。入学当時はほとんどが稚児まげと呼ばれた少女の結う髪型で、頭上に高く輪を左右につくり、その中にきれいな花の絵をかいた短冊型の丈長[たけなが]を通してまるめた可憐な姿であって、明治時代後期の面影を残していた。

 第一次大戦ぼっ発の年に生れ、学校では「・・・われら国民七千万は、天皇陛下を神とも仰ぎ、親とも慕いてお仕え申す。大日本、大日本・・・」と教えこまれ、卒業すると男子はすぐ青年訓練所(後の青年学校)へ入学し、学科として公民や国語を教えられたが、軍事教練が主であって軍隊の予備的存在であった。

 果たせるかな、農村の疲弊が深刻化する中、満州事変、支那事変そして第二次大戦へと突入、そして敗戦。

 戦前、戦中、戦後を生きぬきその辛苦をつぶさに味わった世代でもあった。

  尋常科第36回卒業生
○前列左から
 和田リカ、三沢ユキ、林淑子、柏尾シゲ、佐坂英子、吉田トメ、玉置チマ、山田フサ子、熊谷静江、藤田ハツ
○第2列左から
 佐々木軍一、松山邦司、笠井鹿輔、千葉長男(学校長)、堀北為吉、森銀之丞、新田茂一(学年担任)、佐藤賢三、小山内旭
○第3列左から
 坂上喜代子、吉田ヨシエ、妹尾ユクエ、内藤イチミ、猪俣セキ、牧野シュン、米谷美喜、坂東ツヨ子、笠井君恵、野村コト
○第4列左から
 古木シズ子、光重男、浅井正敬、藤木幸次郎、小池政男、立花貞美、横関政雄、久保武夫、杉本政幸、坂東タカノ
○第5列左から
 西野義夫、三間時男、一宇藤平、尾形一民、坂東猛雄、江本進、塩谷季夫、近藤守
○第6列左から
 横関義勝、岡義光、白石忠一、向井定市、中岡定雄、畑中勇、大塚房雄、鶴間光雄、磯村常一
○第7列左から
 堀北豊吉、安崎要一、佐藤茂、末松寅之助、笠井徳市、武市秀雄、長江晴幸、赤石牛太郎、鶴田金雄
以上56名


出典:図書「続・ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1997(H9).12, p92-95: 30小学校卒業記念写真 --- 初出: 仁木町広報1995(H7).1,2

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