モンガクと言うところ

 モンガク、それは忘れ去られようとしている仁木の古い小字[あざ]の名である。

 登町の追分[おいわけ]付近から西に向かって流れ仁木町東町16丁目山田幸吉氏の地所わきへ落ちている小さな谷川筋をモンガクの沢というが、この沢の両岸に広がっている小高い丘陵地一帯をモンガクと呼んでいる。

 この丘から沢辺伝いのだらだら坂を仁木の平地へ下りて国道5号線へ通ずる道(一番線)は、昔赤井川産の雑穀類と仁木の商店からの営農物資その他が人や馬の背で運ばれたことがあって、当時としては仁木と赤井川間の近道でもあり人や物資が交流する重要な道路であった。それでこの道を現在の赤井川道路に対して旧赤井川道路と呼んでいたこともあった。今も残っている追分という地名は赤井川から冷水峠を越えモンガクの丘へさしかかる付近に仁木と余市の分かれ道がある。そこにつけられた名称であった。

 モンガクとはアイヌ地名なのか、あるいは和人がつけたのか確かなことはわからない。
 今から130年程前、エゾ地の探検家松浦武四郎がここを通り、アイヌからの聞き書きをもとにして作った『東西蝦夷山川地理取調図』によると「ムンカルシナイ」とある。その他二、三の古記録にも同処に「モンカクウス」あるいは「モンカクス」となっていて、どう考えてもアイヌ系の地名のようである。

 さて、「モンガク」という地名はこれらムンカルシナイ、モンカクウス、モンカクスなどが次第に訛ったり、それがつまったりしたものではないかと思われる。もしそうだとすれば「ムンカルシナイ」はムン(草の)・カルシ(通過する、通行する)・ナイ(川)で「草の生い茂った処を流れている谷川」につけられた地名と解釈される。

 モンガクの沢合、殊にその谷口付近には清涼な水が湧いている所がいくつかあってその下流はいまでも低湿地が広がっている。アイヌ時代にはおそらくヨシやスゲ、ガマなどの草刈場であったらしい。アイヌにとってスゲやガマなどは日常生活に欠かせないもので、チタフペと呼ばれた飾り用のゴザやサラニッフと言われている手さげカゴなどを編む材料になった。

 モンガクの沢合いは北風をさけて暖かく飲用の清水も豊かである。何よりも尾根伝いにやってくる鹿や熊の通り道でよい狩り場でもあった。従って古くから先住民族が住みついていた所のようで、彼らが遺した大小の石器や、厚手やウス手の土器などが至る所に散在している。後年になってアイヌもまた、ここに根拠していたものであろう。

 地名としては忘れ去られようとしているこのモンガクに、最近小樽から余市を経て仁木に至って国道に合流する広域農道の計画が進められているが、これが実現すれば奇しくもモンガクの丘の一角で近代的舗装道路と旧赤井川道路が交差することになる。

モンガクの丘、平地の後方に連なる丘陵地

モンガクの谷

出典:図書「ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1991(H3).3, p60-61: 23モンガクと言うところ --- 初出: 仁木町広報1983(S58).7

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