砥の川の砥石

 南と西と北の三方は山をめぐらし、東は余市川を距てて仁木の市街にのぞんでいる砥の川は、かってアイヌ語でルイオツ(砥石の出るところの意)と呼ばれていた所でこれが現在の地名のもとになったものと言われている。

 砥の川へ和人がはじめて入植したのが明治23年(1890)頃とされているが、それよりずっと以前のアイヌ時代には角ノ沢の奥から下山道(豊丘)へ山越えする近道があったらしく、その鞍部にはイクート(鹿の通る道:けもの道)と言う道を辿ったアイヌ達によって砥石の存在が知られていたのであろう。

 ところで砥石の出る所は角ノ沢(川)と砥の川であるが、その産状や質など両者同一ではない。

 角ノ沢の中流の谷壁のものは板状に幾枚も重なって産し、その表面はウス茶色に鉱染されている。試みに割ってみると灰白色であるが、ごくかすかに緑色を帯びている、砥の川沿いのものは主に青石(ウス緑色)で塊状を呈し河床や河原に転石として散在している。その大きさは握り拳くらいのものから人の頭くらいのものが多く、その質は角ノ沢産の砥石に比べてやや軟らかい。

 さて、これらの砥石は市販のものよりやや質は落ちるが明治から大正時代にかけて地元では勿論、近隣の部落へも運ばれて鎌や鉈[なた]など主に農具類の研磨に当てられていたが、現在でもいくばくかの利用者が残っている。

 ところで砥の川産の砥石は頁岩[けつがん]のごとく板状にはがれ易くてウス緑色をした堆積岩であるが、元をただせば千数百万年前の昔、まだ海であった積丹半島付近がグリーンタフ(緑色凝灰岩)変動と呼ばれる激しい海底火山活動に明け暮れていた頃噴出された火山灰や火山砂などが変化したものであって、最近、角ノ沢の下流から出ているゼオライト(沸石[ふっせき])とも関係がある。

 即ち火山灰や火山砂などから変化した凝灰岩や凝灰質砂岩それに泥岩などの中に含まれている火山ガラスや長石類の成分が地中で高圧力や湿度、地下水などと活発に反応しあって、しばしばゼオライト(沸石)に変成されたのである。角ノ沢の砥石(頁岩)と温泉(地下水)の湧出、そして最近ゼオライト鉱の採掘が進められているがこれら三者がそれぞれ科学的にも因果関係があって興味あるところである。

 なお、この稿を草するに当たって砥の川の砥石を採取したり使用経験のある藤木武雄、大西藤四郎、渡辺猛、秋山幸次郎、大森正、三浦繁、各氏からいろいろ教示を受けた。

砥石の原石(砥の川産)ー上面に使用した跡があるー

出典:図書「ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1991(H3).3, p12-13: 2砥の川の砥石 --- 初出: 仁木町広報1981(S56).5

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