尾根内の黒曜石


 仁木町の南部を占める尾根内は南の山麓から鳥居川、下尾根内川、中尾根内川、上尾根内川、土木川などがそれぞれ余市川に落ち合って、やや広い沖積地を造っており、山沿いの段丘状の小丘は赤井川ロームと呼ばれる火山灰が堆積していて赤い地肌を覗かせている。

 その後に屏風の様に立ちはだかる稲穂連山は赤井川盆地が生まれる以前に生成されたもので、これは余市川カルデラの外輪山にあたっている。

 さて、尾根内はアイヌ語の「オンネナイ」が訛[なま]ったもので「親川」とか「大きい川」また「年老いた川」という訳であるが、当時のアイヌはここへ落ち合う各々の支流を余市川の子供であるとみなし、余市川本流をその親川であるとして、これをオンネナイ(尾根内)と呼んだのであろう。

 ところでその支流の一つである土木川は倶知安境の三角山の北麓に源を発し赤井川村との境を流れ下って赤土に覆われた段丘を越えている。この右岸は赤井川村曲[まがり]川であるが、その丘の上には 10数年前黒曜石製の石器が発見されて話題になった。これについて北海道大学関係者による調査結果によれば、その石器は今から1万年程度前の先住民族が使った石やりや石のナイフの類で、当時この近くにも棲んでいたと思われるマンモスやトナカイ、野牛、エゾ鹿などの大型草食獣を狩るのに使ったものであるという。

 1万年前といえば世はまだ氷河時代の終末期で、当時はシベリア大陸から樺太、北海道がまだ陸続きであったから、これを渡って来た人々の子孫が一時的であったにせよ、尾根内の土木川の辺に居を構えて狩猟生活に明け暮れていたのであろう。

 気候が寒冷であったその頃は、日高山脈には氷河が懸かり、積丹沖まで流氷が押し寄せ当時の仁木町付近は、現在の北樺太やシベリアを思わせるツンドラ地帯(永久凍土)で、平地でも高山植物が拡がり日当たりの良い谷間などに僅かに針葉樹や白樺などが点在し、これらを求めて移動する草食獣の群が見え隠れする景観を示していたであろう。未だ弓も知らず土器も無かった彼ら先住民族にとっては命に次いで大切であったのは黒曜石製の利器であったに違いない。この黒曜石の原岩は今のところ北海道では北見や十勝地方の他は尾根内の土木川付近にしか発見されていない。さて黒曜石は十勝石とも呼ばれている火山岩で、噴火の際急に冷却して岩石になったもので、その質は天然ガラスである。

 打ち割れば黒くて艶やかな肌をもち、貝殻状の模様と触れると手の切れそうなフチができる。こうして堅くて割り易く鋭い刃がつくので他の道具の無い先史時代には、これで造ったヤリの穂先やナイフなどは彼らの生活の必需品であった。

 さて、土木川の源流は倶知安町ポンクトサン川と峠一つで近接しているが、この川沿いにも瑞穂や峠の下遺跡などがある。ここの遺物も土木沢産の黒曜石と同質のもので造った石器であることなどから考えると、当時この峠越えの道はケモノを追うために踏み分けられた道であり、かつ黒曜石を運ぶ道でもあった。

 最近、土木川の左岸に近い尾根内の丘にも、石器の破片や黒曜石のクズが見かけられるが、きっとこの付近にも当時の遺跡が発見されるにちがいない。

黒曜石製のナイフ(余市町青木延広氏蔵) 

出典:図書「ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1991(H3).3, p14-15: 3尾根内の黒曜石 --- 初出: 仁木町広報1981(S56).6

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