仁木のサクランボ

 「小さな恋人 サクランボ」などと言われるように、サクランボのイメージは可憐でかわいい。口の中にスッポリ入って、あの色つやのすべすべした感じと独特の形と風味。最近若い人達の間にサクランボの人気がでてきたようにみえる。

 仁木町では、近年サクランボの生産がとみに増加し、今まで地元消費の域を出なかったが、その品質も高く認められつつあって、東京・大阪をはじめ道外各地への移出も次第に増してきた。

 ところでサクランボは、もともと我国の果樹ではなかったが、明治5,6年ころから時の北海道開拓使が、りんごやぶどうなどと共にヨーロッパやアメリカから輸入したものである。

 当時、それらの苗木を、直ちに北海道へと移して万一寒さのために枯死しては、との懸念から苗木は一応東京青山の官園に仮植し、ついで北海道の七重[ななえ](七飯)や札幌官園(北大農学部構内)に移して養成し、明治8年ころから開拓使の奨励で全道各地の農家などへ次々と配布された。

 時の記録によると、東京官園が廃止される明治14年までに養成されたサクランボ苗木は、37,000本余に及んだが、そのうち北海道へは7割に当たる21,000本余りの配布があったという。実に北海道は、はじめてサクランボが我国にやってきて、大量の苗木が古くから植えられた土地である。

 仁木のサクランボもりんごと同様、早くから植えられていたようで、大正時代の中頃には、たいていの農家の庭先や、りんご畑のあちこちに3本、5本とかたまり、あるいは地所の境目などに並んでいたが、その中には幹の太さが一抱え以上もあるサクランボも珍しくなかった。

 中でも人目をひいたのは、仁木小学校玄関わきの大サクランボで、大人の手で二抱えに余るほどもあり、その高さも校舎の屋根をはるかにしのいでいた。

 当時の運動会には、その太い枝に桟敷[さじき]を設け、上で楽隊がラッパや太鼓を演奏して遊戯[ダンス]や競技などをもりたてたこともあった。

 仁木町北町8丁目の森茂晴氏家のサクランボは、仁木小学校のそれをはるかに上まわる巨木で、当時余市近郊はおろか全道でおこれに及ぶものはなかったという。しかもこの老巨木の親木がすでに仁木に育っていた。森孝俊氏の話によると「この木は母が幼少の頃、隣家(大野忠重氏)の裏庭にあったサクランボの実を拾って育てたもので、やや苦味のあるベッコウの一種であった」という。

 これらのサクランボは今はもうない。しかし、仁木のサクランボ栽培史上にはいつまでも残るものと思う。
 現在、北海道のサクランボ栽培面積は320haに及んでいるが、その主産地は小樽、余市、仁木町を中心とする北後志地区、壮瞥町を中心とする有珠地区、増毛町を中心とする南留萌地区などであるが、特に北後志地区は、全道サクランボ栽培面積の6割あまりを占めている。

 その品種名も日の出、高砂[たかさご]、佐藤錦[にしき]、ナポレオン、水門[すいもん]などで最近は新種もつぎつぎに導入されているが、特に道外へ移出している良質水門の代表的生産地でもある。

 北海道産水門の品質の良さは、どこからくるのであろうか。一つはその環境的な面が考えられる。

 北後志地区の夏季の平均気温は20℃ - 23℃で、最も寒い冬の平均気温は-9℃前後で、北海道として温暖な地域とされている。また北海道の7月は昼夜の温度差が大きく、これはサクランボの着色に極めてよい条件である。北海道の水門は果実全面に着色する。

 赤味が強いと言っても輸入サクランボのようなどぎつい赤味ではなく、もっと鮮やかでつやがある。そのうえ水門の成熟期である7月には梅雨[つゆ]がない。言うまでもなく収穫期に入ったサクランボは雨に弱く、雨にあたると裂果してしまう。本州に比べて北海道ではこのような危険性が少ない。

 水門の熟期は佐藤錦より遅く、ナポレオンより早い。仁木町では7月上旬から中旬にかけて収穫の盛期となる。
 戦前のころは、りんごの袋かけが終わるとサクランボの収穫に取りかかった。袋かけの出面(日雇い)を使って採る家もあったが、主に小樽方面へ出荷、当時大賑わいだった小樽住吉神社祭も目あての一つであった。

 ところで水門という珍名をもつサクランボは運河の街、小樽生まれであるという。聞くところによると「奥沢水源地の用水路水門か運河の水門かは不明であるが、いずれにせよその水門近くで突然変異(偶発実生)したサクランボを誰言うとなく、”水門近くで見つかったサクランボ”と呼ぶようになり、それが縮まって”水門”となった」と。

 しかし、最近この水門が北光と同種であるとか、ないとかで話題をよんでいるが、種苗カタログなどには、「北光(水門)」とあって同種のように見うけられる。いずれにせよ明治40年前後に小樽で誕生したことだけは間違いないらしい。

 仁木町東町の浅田重雄氏によると「昔、フレトイにサクランボ山(東町14丁目)があった。地主は小樽市在住の武田某氏で大正10年頃すでに樹幹の直径20cm前後もある太い水門の成木が30本あまりも見事に並んでいた」という。

 仁木が小樽と水門と、何やら奇しき縁でもある。

昔のサクランボ山(仁木町東町14丁目)

出典:図書「ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1991(H3).3, p174-177: 68仁木のサクランボ --- 初出: 仁木町広報1988(S63).4,5

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