義盛会の人びと

 義盛会とは義太夫[ぎだゆう](浄瑠璃[じょうるり])を愛好する人びとによって結成されたいわば義太夫の同好会で、随時師匠を招いてその稽古に励むとともに、時には井形座(劇場)などで義太夫発表会を催した。語り手は三味線ひきを伴ない、麻上下[かみしも]姿で見台を前に正座し、自慢の喉を観客に披露した。それは昭和のはじめ頃から終戦後まで続いた。

 浄瑠璃と阿波国との結びつきは深い。例えば近松半二らが作った「傾城阿波の鳴門巡礼」は題材を阿波にとり、可憐な巡礼おつると十郎兵衛・お弓の義理人情のしがらみに喘[あえぐ]ぐ物語は大阪の竹本座で上演されて義太夫節の巧みな節廻しによって観客の涙をしぼり一躍して阿波と浄瑠璃の関係が深まった。阿波の商人達が藍の取引きに京・大阪・江戸に出かける毎に、人形芝居や浄瑠璃をとり入れて帰国し、金と暇にまかせて嗜[たしな]んだが、それが阿波各地の庶民芸能として広がった。昔から仁木の人々の中には和歌や俳句をひねったり、義太夫好きが多かったが、阿波の芸能文化の流れを汲んでいたのであろうと思われる。

義盛会の人びと:
前列左から:寒川某(不明)、笠井鹿助、(師匠)、井形平次、(不明)、吉田幾太郎
中列左から:井形喜三十郎、安崎戸一、井内章一、(少女)。
後列左から:田中和一、松島義男、渡辺某、伊原某。
写真は松島孝三氏所蔵。人物名は関井利雄、松島孝三、大森正、井内義照各氏によって確認

出典:図書「続・ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1997(H9).12, p66: 21義盛会の人びと --- 初出: 仁木町広報1993(H5).8

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