仁木町観光協会 |
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南と西と北の三方は山をめぐらし、東は余市川を距てて仁木の市街にのぞんでいる砥の川は、かってアイヌ語でルイオツ(砥石の出るところの意)と呼ばれていた所でこれが現在の地名のもとになったものと言われている。 砥の川へ和人がはじめて入植したのが明治23年(1890)頃とされている...
明治時代の終わりころから大正時代にかけての仁木小学校卒業記念写真が筆者の手もとにある。その中で最も古いのは明治43年3月公立仁木尋常高等小学校尋常科19回卒業生21名のものであるが、それを見ると、男子児童は縞やかすりの着物に羽織はかま姿、女子は紋つきが目だち、えび茶や紺と思われ...
仁木町銀山は、開拓時代から馬群別と呼ばれていたところであるが、昭和48年(1973)3月、同じ地域内にある国鉄函館本線の駅名にならって銀山と改められた。 銀山駅は明治38年(1905)1月、開通した当時の北海道鉄道会社が、この付近にあったルベシベ鉱山や大富鉱山(銀山市街の...
仁木町(仁木地区)は、明治12年11月、阿波[あわ]国(徳島県)から仁木竹吉に引率された農業移民団370余名が、はじめてこの地を踏んでから今年で満110年目を迎える。 「厭[いと]うまじ君の国との為なれば、身は北海の土となるとも」と、今は仁木町の開祖として町民から仰がれて...
御代の光に照りさえて 豊栄のぼる日の御旗 門の左右にひらめくは 我が運動の 会場ぞ 来れ 同窓もろともに 遊びの庭におりたたん 学校の試験に勝をしめ 今日の競争また勝たば 徳育さえも修めつつ 三徳兼備の人となり やがては国の 柱...
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