仁木女子青年団は、この記念事業の一つとして敬老会を催した。当日出席された古老の方々は男女合せて50余名にのぼった。その折の記念写真を紹介します。
仁木町憲章のはじめに、「私たちはきびしい北方の風土の中に生き抜いた先人の開拓精神をうけつぎ、明るく豊かな町をつくるため、この憲章を・・・」と、ある。
今、この一葉の写真の面影からも、先人の開拓精神と、その労苦のほどが偲ばれる。
昭和11年10月15日、仁木女子青年団主催の敬老会に出席された人々は全員50余名に達したが、そのうち婦人は代理人を含めて29名が出席した。
その記念写真は、男子と同じく仁木尋常高等小学校の正門玄関を背景に、当時写真館を経営していた関井利雄氏が撮影したものである。
当時、仁木小学校の名物とされていた大きなサクランボの木の下かげに顔を覗かせている正面玄関、そのすっきりとした切妻造りの小屋根の上に、尖頭などの装飾をあしらった姿は明治建築様式のおもかげを漂わせていて、いかにも仁木小学校の校訓であった「質実剛健」のそれにふさわしい構えであるかに思える。
居並ぶ古老の方々は、大方が仁木小学校の卒業生である。その思い出深い学舎[まなびや]の前で敬老会に招かれ、長寿の喜びが目元に浮かんで見えている。しかしその温顔の中にも、きりっと結んだ口もとには、仁木開拓の辛苦に耐えぬいた、女丈夫[じょうぶ]さが漂っている。
出典:図書「続・ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1997(H9).12, p88-89: 28仁木村を拓いた人々 --- 初出: 仁木町広報1994(H6).10.11
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