写真のほぼ中央に「しかりべつ」と右から左へ、その下にローマ字で「SIKARIBETSU」と記された駅名板が立っており、それを背に10名ばかりの人物がきちんと並んでいる。何かの記念写真ではないかと考えれらるが、撮影目的もその日付も所蔵者名も記されていない。
さて駅舎と思われる建物のわきに、白く塗られた信号機がひときわ目だち、上方には2枚の信号板が左と右に並んで取付けられ、柱のてっぺんには洋灯[ランプ]がのっていて、地上からは細長い鉄梯子が斜めに架かっている。また柱の下の方に取手[ハンドル]がみえるが、これで上の信号板を上げ下げさせて列車などに合図を送った。
駅舎からやや離れて転轍機[てんてつき]が立ち、それに連ってワイヤー線が延ばされているが、これがレールを切り替え、車の進む方向を決める装置(ポイント)に通じていることは言うまでもない。
ところでこの写真、気をつけて見直すと、プラットホームの石垣や引込線の車止めなど未完成のようであり、木柵も出来あがったばかりの観がある。そう言えば並んでいる人物の服装も「丸山組」と染め抜いた揃いの半天に、草鞋[わらじ]ばき姿の者が多い。どうやら鉄道工事に関係ある人びとではなかろうか。
因みに北海道鉄道(後の函館本線で当時は函館・小樽間)の然別・仁木・余市・蘭島各停車場が開業したのは、明治35年12月10日であり、小樽に通じたのは翌明治36年6月であった。
この然別停車場の写真は、そのころのものではなかろうか。
然別停車場 |
出典:図書「続・ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1997(H9).12, p90-91: 29然別停車場 --- 初出: 仁木町広報1994(H6).12
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