数年前のことである。仁木町内の小、中学校の先生方を前に「仁木町の自然と歴史」について講演した折り、某校の校長から質問を受けた。「仁木の人は一般にへらこいと言われているようであるが、その”へらこい”とは一体どんなことなのか」と。 筆者は内心ハッとしたが、その場はなんとか繕っ...
仁木町銀山は、開拓時代から馬群別と呼ばれていたところであるが、昭和48年(1973)3月、同じ地域内にある国鉄函館本線の駅名にならって銀山と改められた。 銀山駅は明治38年(1905)1月、開通した当時の北海道鉄道会社が、この付近にあったルベシベ鉱山や大富鉱山(銀山市街の...
明治時代の終わりころから大正時代にかけての仁木小学校卒業記念写真が筆者の手もとにある。その中で最も古いのは明治43年3月公立仁木尋常高等小学校尋常科19回卒業生21名のものであるが、それを見ると、男子児童は縞やかすりの着物に羽織はかま姿、女子は紋つきが目だち、えび茶や紺と思われ...
町教育委員会の書庫から古い写真が2,3枚でてきた。その中の1枚はどうやら鉄道開通当時の然別停車場前の情景とみえる。下にかかげた写真がそれである。 写真のほぼ中央に「しかりべつ」と右から左へ、その下にローマ字で「SIKARIBETSU」と記された駅名板が立っており、それを背...
北海道や東北地方には内と別のつく地名がびっくりするほどたくさんある。わが仁木町もその例外ではない。得志内・尾猿内・平内・真駒内・フレトナイ・尾根内・然別・サッテクベツ・古別沢・馬群別など十指をはるかにこえる。 ところで、このナイもぺツも川を表すアイヌ語系の地名であるが、北...