昔の百姓歌

 明治初年、阿波の北方[きたがた](吉野川流域地帯)から北海道に渡り仁木に落ちついた人々は、麦や雑穀作りと共に郷里の名産である藍の栽培に意欲をもやした。

 藍の耕作には重労働がつきまとうが炎天下の収穫どきの厳しさは殊更であったという。

 「唄いますぞよションガイ節を歌は仕事のはかいきよ」と、故郷の百姓歌の数々を唄い合って苦しみをまぎわしたともいう。

 これらの歌の大方は忘れ去られてしまったようであるが、わずかに残る歌の中にも、きびしい暮らしに耐えながら仁木の開拓に捧げた先人の生きざまの一端がうかがえる。

藍の種まき生えたら間引、植えりゃ水取り土用刈り

 ○

桜三月あやめは五月、暑い土用に藍こなし

 ○

阿波の北方起きあがり小法師、寝たと思たら早起きた

 ○

お前どこ行きゃわしゃ北方へ、藍をこなしに身をせめに

 ○

二度と来まいぞ藍こなしだけにゃ、芋と麦飯で目がくらむ

 ○

わかいし(若衆)よろこべ明日は節句、栗のかきまぜ芋だんご

 ○

辛いもんだよ他人の飯は、にえておれどものどこさぬ

 ○

せこい川島で辛抱するよりか、楽な鴨島でへんど(乞食)する

 ○

讃岐せこい(苦しい)とて阿波へは越すな、阿波の北方なおせこい

 ○

花よ咲くなよつぼみでおれよ、咲いて小枝を折られなよ

 ○

娘十七八あざみの花よ、見れば美しよれば刺す

 ○

置いてお帰り手拭いなりと、忘れたと言うて又ござれ

 ○

おもい想いにこれ程やせて、ふたこ(二回)廻しが、三こ廻る

 ○

糸よ切れなよ車よ廻えよ、可愛い殿御が門に立つ

 ○

惚れておれどもまだ手は出さぬ、妻と定めにゃ手を出さぬ

 ○

さま(若い娘)よいかんか今宵の六つに、麦はまだあるあの畔に

 ○

染めてみなされわしゃ阿波の藍、色も変わらぬ一すじに

 ○

嫁の晴着に白無垢きせて、藍で染めたい家の紋

 ○

娘、子でない嫁こそ子なれ、娘世間の人の子よ

 ○

嫁の悪口言うて歩く姑が、孫がかわいい気が知れん

藍の苗 ー 仁木町内で試作した藍の双葉

出典:図書「ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1991(H3).3, p76-77: 30昔の百姓歌 --- 初出: 仁木町広報1984(S59).3

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