余市川の鮎

 魚ヘンに占と書いて「アユ」と読ませる。その時の通り昔は戦況を占うのに鮎が用いられた。『日本書紀』にそのことが出ているのだから鮎は古い魚である。

 鮎はその姿、色調、動作、風味などの点から見て川魚の女王というにふさわしい。普通1年で死ぬから年魚、独特の芳香があるので香魚ともいわれている。

 動物学者の内田清之助氏によると「北海道には昔、鮎が棲んでいなかったので、明治初年本州からもってきて渡島方面の川に放流した」という。

鮎の水彩画(間宮氏画)

 ところが「余市川の鮎は昔から自然に棲んでいた………」という古老の言い伝えもあるし、また明治28年(1895)、徳島県から移住した木内嘉右ヱ門[かうえもん]は「余市川に鮎のいるのを最初にみつけたのは常はんという人で、自分もはじめは木綿針を曲げた鉤でで釣った」と述懐していたという。いずれにしても開拓時代から仁木の人々によって鮎漁が行われていたようである。

 余市川の自然の鮎は、アカハラの産卵する5月の中頃からのぼってくると言われているが、近年はビワ湖から仔鮎を運んで来て放流している。

 毎年6月上旬ころ、体調が5,6cmに育った鮎の稚魚は、ビワ湖から3台のトラックで余市川に運ばれ、直ちに下流の鮎見橋から仁木大橋、月見橋、然別橋、大江橋、長沢橋、そして赤井川の大正橋付近などへそれぞれ分けて放流される。その数約15万尾、約500キログラムで北海道の川へ放流される仔鮎総量の3分の1に及ぶという。

 鮎は元来、水の清い川に分布し、川底の小石についた水ゴケ(珪藻)を餌食しながら中流、上流へと遡上して成魚となり、8月には下流へ下り砂や小石の多い浅瀬に産卵するが、砥川口から鮎見橋近くまでが、そのよい場所とされている。そして産卵を終えると落鮎となって静かに死んでいく。

 毎年7月、鮎漁の解禁ともなれば地元のベテラン釣師をはじめ近郊近在はもちろん、遠く札幌、室蘭、旭川方面からの釣り天狗達で連日川辺は賑わう。それは余市川の夏の風物詩でもある。

 しかし、昔から清流を誇った余市川も近年とみに河床は荒れ、水は濁を深め水量も著しく減って、かつての面影は次第にうすれつつある。このままでは鮎や鮭が危ない。いや河川の荒廃は魚類だけの問題ではない。余市川流域に住むわれわれの生活の危険信号でもあるとさえ思える。

 美しき水に復さん余市川 いく年までも力盡くして

 小田貞雄氏の近詠であるが「清流余市川」を念じている人は決して少なくない。

余市川の鮎釣り(月見橋付近)

出典:図書「ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1991(H3).3, p80-81: 32余市川の鮎 --- 初出: 仁木町広報1984(S59).5

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