りんご百年樹

 仁木町内に初めてりんごの木が植えつけられたのは記録によると「明治15年粟屋貞一がりんご苗520本の配布を受け………」とあり、別の記録には「明治16年乃至[ないし]17年ころ函館勧業寮から無償でりんご苗が配布された」となっていて、その品種も紅玉[こうぎょく](6号)、倭錦[やまとにしき](7号)、祝[いわい](14号)、緋の衣[ひのころも](19号)、国光[こっこう](49号)、紅魁[べにさきがけ](58号)と呼ばれたものが多かった。

 その頃植え付けられたと考えられている祝種りんごの古い木が、現在仁木町北町2丁目杢保英夫氏宅の庭先にただ1本残っていて、毎年見事なりんごを実らせている。

 つい先年亡くなられた杢保弥代吉氏が生前語られたところによると、「先代の杢保与三良は、明治12年秋、阿波国から仁木村へ入植した第1回目の移民で、その割当てられた荒地を2,3年ほどで墾成し終えたが、当時その筋から配布された数本のりんご苗を住宅地の近くに植えた。その頃は無肥料、無農薬、無袋が普通で、ほとんど手入れせずとも毎年よく実ったと父から聞いた。私の物ごごろついた頃には既に相当大きな成木になり、熟するころになると、その落ちりんごを拾うのが一番楽しみであった。今(昭和62年)では樹齢も100年をとっくに過ぎているであろう」と。

 日本一古いりんごの木が青森県西津軽郡泊村(桑野木田)にある。明治11年に植えられた祝種1本、紅絞[べにしぼり]種2本で、ともに樹高7m余、周囲3mに及ぶ老大樹で、青森県の天然記念物に指定されているが、杢保家の古い祝種りんごも、青森県のそれに次ぐ老樹であると思われる。

 ところで、仁木町北町8丁目森茂晴氏の地所内にも紅魁、生娘[きむすめ]、緋の衣、紅玉などの古いりんごの木が相当残っているが、中でも住宅わきの紅魁1本、生娘1本は、ともに樹高5m、周囲3m、その樹冠も約12mほどに拡がっている。また、りんご畑の奥には緋の衣種の大木が4本、その太い幹をどっしりと地上におろし、見事にさし交した枝には宝玉のように美しい実を毎年たわわにつけている。

 緋の衣種は昔から余市地方の特産品種で、りんごの王者とも言われ、かつては宮内省へ毎年献上していたほどの逸品であった。しかし現在では「まぼろしのりんご」で、余市町内に1,2本残っていると聞くだけで、他では全く見られないようになった。

 森茂晴氏の叔父に当たる森孝俊氏は「本家のりんごが植え付けられた記録はないが、先代からの伝えるところによると、紅魁や生娘種の樹齢は100年に近いか、或いはそれを上回っているかもしれないし、緋の衣種も明治の終わりから大正の初期に植えられたと聞いている」と。いずれにしても100年から80年前後の歳月を経たりんごの古木が、仁木町内に残っていることはりんごで名声を博した我が町の誇りである。天然記念物として永く保存したいものである。

森りんご園の百年樹(郷土史研究会建立)

出典:図書「続・ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1997(H9).12, p50-51: 13りんご百年樹 --- 初出: 仁木町広報1992(H4).11

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