ルベシベの通行家跡

 仁木町大江3丁目、そのルベシベの小丘に建てられた通行家跡の記念碑は、去る7月25日、青い大空のもと町内外から集まった大勢の参列者を前に除幕式が行われた。

 宮司による厳かな祝詞[のりと]が終り碑面を覆っていた純白の引幕が関係者らの手によって静かに除かれると、鏡のように磨かれた黒ミカゲ石の碑面に、力強く彫り込まれた「ルベシベ通行家跡」の題字がくっきりと現れた。

 その一瞬、拍手がひときわ高くおこって稲穂の山々にこだました。

 花崗岩でたたんだ碑の台座の表には「建立の誌」がはめこまれ、裏面には記念碑建立の賛同者85名の芳名録が、こがね色に映える金属板に刻まれていてまぶしいばかりである。

 元来、ルベシベ通行家は余市・岩内間の新道開削に伴って、稲穂峠を越える人々のために、安政4年の初夏、余市運上家によって建てられ、ついで人馬継立所が設けられた。以来蝦夷地の探検家松浦武四郎をはじめ、箱館奉行の村垣範正、堀利煕、北海道歴検図を描いた目賀田帯刀らが、蝦夷地の開拓や北方の警備状況などを検分のため奥地へ赴く途中、ルベシベの通行家で旅の疲れを休め、また鰊場へ向かう出稼労働者や商人なども、ここで休憩あるいは宿泊した。

 明治初年には、札幌府建設に赴く開拓使判官島義勇一行、イギリスの生物学者ブラキストン、開拓使顧問ケプロンら、幕末から明治時代にかけて、北海道開拓史上欠かせない著名な人物らが往来し、その報告書や日誌類・絵図など、多くの歴史的文書を遺している。

 時代の推移とともに、ルベシベ通行家は脇本陣、旅篭屋[はたごや]、駅逓[えきてい]など、その呼称は変わったが、明治37年北海道鉄道が開通するまでの間、この地を往来する旅人の休息の地として、その役割を果たしてきた。

 仁木町大江3丁目(ルベシベ)は、昔も今も交通上の要所として、その重要性は変らないが、特に幕末から明治維新にかけてこの地を検分した内外の先覚者が遺した古い文書や絵図類は、仁木町開拓時代をうかがい知るには欠かせない貴重な資料である。

 このたび仁木町大江地区開拓110年に際し、有志一同が往時を偲んでここに記念碑を建立したのであった。

ルベシベ通行家跡記念碑

出典:図書「続・ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1997(H9).12, p70-71: 24ルベシベの通行家跡 --- 初出: 仁木町広報1993(H5).11

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