余市川流域の断層

 最近、赤井川盆地のほぼ中央に温泉が発見された。1,535mほどボーリングしたら摂氏40数度の温泉が湧出したという。

 赤井川村にはこの他にも丸山下や北丸山の麓にも温度は低いが温泉はあるし、アメマス岳の湯ノ沢にもその兆しはあった。

 試みに地形図を広げて余市川温泉に目を落とすと不思議なことにほぼ南北に引いた一線上にこれらの温泉が結びつく。

 しかも、この線上には赤井川盆地内に噴出した北丸山(中央火口丘)や仁木町の頂白山(寄生火口)など、いずれも立派な火山体がのっていることである。この線を更に南へ延ばしてみると、余市川の支流白井川の谷あたり、明治・中丿沢・轟[とどろき]の各鉱山へと続く。轟鉱山付近には火山活動の名残とも言うべき噴気孔が近ごろまで息づいていたという。

 これらは要するに南の白井川谷から赤井川盆地の中央を通り抜け余市河口へ向けて延びている直線上の大きな裂け目、即ち断層が走っていて、その上に火山が噴出し鉱床(鉱山)を胚胎[はいたい]したりマグマで温められた地下水が温泉として湧出するのであろう。

 断層はこればかりではない。延々50kmに及んで注ぐ半円形を描く余市川の谷はもちろん、それに注ぐ大小の支流や隣のフゴッペ川、登川、ヌッチ川など皆同じ類で、太古の地底を網の目のように裂けて走った断層の谷底を流れているのがこれら諸川である。その谷にはいろいろな鉱山(金属鉱床など)や温泉が各所に見受けられる。

余市川は断層の谷底に従って半円形状に流れている(大江・然別付近の航空写真)


 ヌッチ川には豊岡鉱山、余市川流域には砥ノ川鉱山と温泉、大江鉱山、大然別鉱山、ルベシベ鉱山、尾根内の後志鉱山、長沢の武宝鉱山、更に上流白井川の明治、中の沢、轟鉱山、ガロの沢大宝鉱山、青木沢の大和鉱山、豆腐屋沢の大栄鉱山、赤井川母沢奥の鵬富鉱山等など書きあげればきりがない。そしてフゴッペ川沿いにも国興鉱山、上流は鯛得鉱山、近年この谷底にフゴッペ川温泉が湧出している。

 しかし、これらの鉱山は、今盛んに採鉱中の大江鉱山を除いた他は、休山または廃鉱となっているが、かつて金、銀、銅、鉛、亜鉛、水銀、マンガン鉱などを産出していた記録が残されている。

 然別から銀山、尾根内にかけての余市川左岸の山地はときおり崖崩れや地すべりを起こす。特に然別、銀山間の鉄道沿線は大量の土砂が山腹の樹木をのせたまま、線路目がけて押し出すことが再三あって、その度ごとに崩土防止柵を設けたり、線路の切り替えなどその対策に腐心しているようであるが、いつまた起こるか不測の状態である。

 函館本線然別 ー 銀山間は北海道の鉄道にとって有数の難所であるという。それは線路の勾配が急だというばかりでなく、カーブが多くて見通しが悪い上に、列車の大事故にもつながりかねない崖崩れの危険性をはらんでいる地区だからである。

 これと地形的に同じ類である赤井川盆地内の池田地区の断層崖は数万年前に陥没したといわれている赤井川カルデラ誕生の際に生じたもので、稲穂連山の断層に比べるとずっと新しい。

 池田断層は、大黒山の東麓から丸山の西麓にかけて延びていて、赤井川盆地底からの高さが200mにも及ぶ急な崖をつくっている。

 この断層は最近の調査によると「活断層」であるといわれている。断層は岩石がゆるみ、こわれ、食いちがいを生じたいわば岩石の破壊現象で、時どき動く生きのよいものが特に活断層と呼ばれている。少し大げさに言えばここはいつ活動しても不思議ではない。文字どおり活きている断層地域である。

 この池田地区の外輪山を西側に越えると、仁木町大江2丁目に当たっているが、近年この山麓で新しく耕地造成がすすめられている。その経営に当たっておられる佐藤謙次氏の話によれば、新開地の表層の一部に相当大きな段差があらわれ、しかもそれは次第に進行しつつあるようであって、地盤沈下の様相を呈しているという。

 調査をすすめた上でなければ言明はさけるべきであるが、ここは池田活断層の通り道筋近くであるから、あるいは余波が潜在しているかもしれない。

 断層はこのように我々の生活に障害を与えやすい面も多々あるが、他の一面では余市川流域の鉱山の分布にしても、また温泉湧出であっても、かつては地下深所から断層に沿って熱水が上昇してきた結果、もたらされたものであることを忘れるわけにはいかない。

断層のきず跡、エビス岩の崖にある断層面(鏡肌)

出典:図書「ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1991(H3).3, p52-55: 20ヨイチ川流域の断層 --- 初出: 仁木町広報1983(S58).3,4

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