仁木神社裏の切通しに現れた地層

 仁木町から余市・蘭島・塩谷を経て、小樽市に向かう延長20kmに及ぶ広域農道の全通も間近い。

 海抜6,70m程の緩やかではあるが起伏の多い丘陵地帯を縫うように走るこの農道は、いたる処に現代風の趣向を凝らした橋や広くて明るいトンネルが目をひくが、小山を崩したり切り割った箇所も多く、その難工事の程がうかがえる。

 その一つに、仁木神社裏山の開削跡がある。高さ100m程あるこの山の中腹を切り割り、路面の舗装がすすみつつあるが、風洞のように切り抜かれている両側の地肌は生々しく、その地層面がきれいな縞目模様を呈してほぼ水平に重なり合っている。

 近づいてみると、最下層に黄褐色をした砂質の岩石が厚く堆積し、その上には茶褐色に染った小砂[こずな]の中に角のとれた河原石が混った層が乗り、さらに灰色を帯びた粘土層が重なり、表層に近づくとゴツゴツした岩塊混じりの土砂に変り、その上に鮮やかな赤褐色の赤井川ロームが覆って古い地質時代の様相の一端がうかがえる。

 中でも、最下層に広がっている黄褐色の岩は、太古の海底火山が吹き出した灰や砂が水底に厚く堆積したもので、一般的に凝灰岩質砂岩と呼ばれ、その質はもろくて風化しやすい。

 仁木町から小樽市にかけての広域農道沿線一帯には処々にこの地層の露出が見うけられるし、余市川左岸の砥の川から旭台、そして余市(山田)にかけての丘陵地帯は、ほとんどこの凝灰岩質砂岩からなっている。

 5万分の1地質図『仁木』をひろげて見ると驚く。近くの頂白山も大黒山もみな、この凝灰岩質砂岩からなる「余市川累層」の上にどっかと乗っており、赤井川カルデラ盆地も同様にこの上に坐っている。

 地質学上「更新世」と呼ばれている遠い遥かな昔、この付近一帯の地殻に大変動がおこり、余市累層上に断層が縦横に走った。それまで地下に溜っていたマグマが岩の上の裂け目を求めて急上昇し、地上には大小幾多の火山帯を形成し、地下水は熱せられて温泉をはぐぐんだ。

 赤井川盆地の外側を半円形に描いて流れる余市川の谷は「推定断層」と言われているし、砥の川や然別川などの谷もこの断層の支脈と考えられている。

 なお、地質図には頂白山から仁木神社わきを通り、余市川に向けて走る推定断層線が引かれている。

 仁木のシンボルとされている頂白山も、この断層線上に盛りあがったドーム型の火山であると言えよう。その熔岩流も西側の山腹に荒々しい姿そのままに登山道路わきまで迫っている。

仁木神社裏山の地層

出典:図書「続・ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1997(H9).12, p52-53: 14仁木神社裏の切通しに現れた地層 --- 初出: 仁木町広報1992(H4).12

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