無量寿寺の公孫樹

 公孫樹と漢字を当ててイチョウと読む。孫の代に至らないと実がならないのでこの名がついたという。

 元来は、中国の原産で一科一属一種の親類縁者の無い孤独な樹木であるが、古くから我が国へ伝わり、主に神社や寺院の境内などに植えられ「御神木」として各地に多く残っている。

 「イチョウは神社や寺に植える木であり、位[くらい]の高い木だから俗人の家には植えられない」という忌みきらう風習があって、一般の宅地内などにはあまり見かけない。

 仁木町北町1丁目、無量寿寺の境内にはイチョウの巨木が1本、本堂を覆うように樹冠をひろげている。それは、いつ誰が植えたものか今のところ定かでない。

 しかし、浄土真宗本願寺派無量寿寺は明治16年、地主であった原田鹿之助氏の境内地寄進によって、小樽別院の説教所が創設され、ついで明治24年、朝山大乗氏が派遣されて以来、信徒も増加し基本財産も確保されたので、明治28年には寺号公称が許可されて無量寿寺となった。

 その寺歴や古老の話などから、この大イチョウは明治24年前後に信徒の手によって植えられたものと考えられる。従って樹齢も優に100年を越えていると言えよう。

 イチョウは成長が早く、耐寒性や耐火性に強いばかりか一度植えたら数千年近くも生き永らえる生命力をもっている。雌雄異株で実がつくまでに30年もかかる。老木になると幹や太枝から「乳[ちち]」と呼ばれる乳房状の気根がたれ下がることがある。

 無量寿寺の大イチョウ雌株で、その高さ20m前後、幹の周囲は3mに近く、秋ともなれば黄金色の実が小さな扇形をした葉かげに鈴なりにつき、幹や太い枝には親指大の乳が沢山ぶらさがりはじめているが、中には握りこぶし程に成長したのもいくつか見えかくれしている。

 イチョウは、昔から位の高い木として神聖視されてきただけに、人々の暮らしの中で生きている諺や言伝えなどが沢山ある。

・イチョウの乳を撫で拝むと乳不足の人の乳汁がよく出る。
・イチョウの実(ギンナン)を食べると夜尿症が治る。
・ギンナンは咳どめの薬。
・イチョウの葉が早く落ちる年は雪が早い。

 イチョウの葉は「銀杏形[いちょうがた]」として江戸時代から女の髪形の銀杏返し、銀杏崩しなどがあり、武家の髪型にも銀杏頭があった。今でも、十両以上の力士の頭には髷の先を銀杏にひろげた大銀杏をのせている。

 銀杏形は衣服や紋所の模様として古くから親しまれたし、また野菜の切り方にも、大根や人参などに銀杏切りが伝わっていることは言うまでもない。

 平成4年、無量寿寺の公孫樹や黒松は、大江神社の赤松群、仁木神社や仁玄寺の欅の木と共に仁木町指定文化財(天然記念物)となったが、これらの樹木は開拓以来、その移り変る風雪に耐えぬき、挫折と栄光と血の滲[にじ]むようなロマンを秘めて長い間人々と語らい、心の支えとなって生き続けてきた樹木なのであった。

いちょうの樹(無量寿寺)

出典:図書「続・ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1997(H9).12, p56-57: 16無量寿寺の公孫樹 --- 初出: 仁木町広報1993(H5).2

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