仁木神社の百度石

 あちこちの神社を訪ねると、大てい鳥居や狛犬や石灯ろうなどとともに「百度石」と銘うたれた石碑が建っている。

 百度石は病気の平癒や願いごとの成就を祈念する参拝者が、神社の入口に立っているこの石塔と拝殿の間を往来し、願いごとを一心に唱えながらこの行為を百遍くり返すので、「お百度参り」とか「お百度を踏む」と言った。

 仁木神社の大鳥居をくぐると社殿に向けて石のきざはしがかかっているが、そのすぐ右側の木立の下に高さ1m足らずの石塔が一基建っている。その全面に「百度石」と刻まれてあり他の面は剥離欠損したものか何も読めない。いつ頃だれが建立したものか古老を訪ねてもその由来を知る人はもういない。

 開拓時代の明治か大正時代にかけては、コレラや腸チフス・天然痘などが時おり流行して村人たちを苦しめた。世界的に流行したスペインかぜも死亡率の高い感冒で恐れられた。それに現在では全治すると言われている癩病や結核も、その当時は業病と言われ不治の病とされていた。しかしこれらの病魔に襲われた当時の人たちは医薬に頼ることが少なく、ただひたすらに神仏の加護を願うより他にすべはなかった。

 患者の近親者たちが深夜とか早朝など、できるだけ人目をさけながら神社に参詣し、お百度を踏むことが多かったという。

 また、明治から大正・昭和へと、日清・日露の両戦後、第一次世界大戦・シベリア出兵・満州事変・シナ事変・第二次世界大戦と、その間一時的小康はあったものの、戦争に次ぐ戦争に明け暮れたと言っても過言でなかった。その間、父や夫や兄弟や子ども達を戦地へ送った出征兵士の家族たちは、ひたすらその無事で帰還することを乞い願っただけでなく、家では陰膳[かげぜん]をすえ、戦地へは慰問袋などを送った。中には日の出前や真夜中に氏神の社におもむき、お百度を踏んで戦勝と無事の帰郷を祈念した。

 戦乱が終わってからやがて半世紀近くも平和な日々が続いている。

 明治から大正・昭和へと、そのあいだ村人の心の依りどころとされてきた仁木神社の百度石は今、忘れ去られたように木立の陰にじっと立っているが、その昔業病の平癒や、出征兵士の安否をひたむきに祈念した多くの人びとの心情が百度石の全身から漂ってくるように思えてならない。

仁木神社の百度石

出典:図書「続・ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1997(H9).12, p40-41: 9仁木神社の百度石 --- 初出: 仁木町広報1992(H4).6

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