仁木にもこんな大きな桐の木が残っていたのかと近づいてみると小枝の先に円錐形の花序をつくり、うす紫色の筒状の花が沢山開いていて、ほのかに甘い香りを漂わせている。
急に幼いころを思い出した。昔は大抵の農家には桐の木があった。庭さきや畑の隅などに3本・5本と立っていて、花どきなどには子どもらが大ぜい集まり、その下でママゴト遊びや鬼ごっこなどで時を忘れた。
仁木神社近くの丘や平内川下流の段丘上などには広い桐林(桐畑)があった。春さきや秋にはネズミの害に備えて、根もとに金網をはったり、薬剤を塗ったりしていた。
冬ともなれば「仁木神社の丘」は、通称「仁木さんの丘」とともに子ども達のよい遊び場で、手作りの竹スキーや板スキーをゴム長靴にひっかけてすべったり、橇すべりで大賑い………。それはもう6,70年も前のことであるが、今昔の感が一入。
昔は女の子が生まれると桐の木を植えた。その娘が嫁入りする時にはタンスや長持ちなど一揃い賄えたものだと言われていた。
今でも総桐ダンス3点セットなら何百万円もの値段であるというから、昔の人の生活の知恵がうなずかれる。
桐材の用途と言えば以前はタンスや下駄の需要が最も多く、次に琴の材料や宝石箱や金庫の札箱、それに桐の小丸太や枝からアバ(漁網の浮玉)、まゆずみ、かいろ灰など広い用途があった。現在でも琴や金庫の中の札箱などは皆桐材に限られているし、高級収納タンスの需要も多いという。
ところで桐の木は、どの木よりも成長が早い。しかも軽くて柔く、それでいて火にも水にも強く、湿気にも強いので腐り難い。他の木材よりも狂いがなく、細工し易く、材面の光沢も美しい。拾い上げればきりがないほど利点があって、他の如何なる木も足もとに寄せつけぬほどすぐれているのが桐材であると言われている。
桐の原産地は中国とされている。中国の伝説によると桐の木は、名君主の出現を告げる鳥と言われる鳳凰が好んで集まる聖なる木であり、王者を祝福するめでたい木であるという。
日本では菊が皇室の紋章にそして桐が副紋になっている。
桐紋は五三[ごさん]の桐とか、五七[ごしち]の桐など、桐の葉と花をデザインしたもので、大正時代から昭和初期の銅貨や白銅貨などに五七の桐紋が浮彫されてあったし、戦時中の勲章の中にも白色桐葉章や青色桐葉章があった。
我国の桐の特産地は昔から新潟、会津、岩手地方などが有名であるが、本道では後志地方から道南にかけての風土が栽培に適しており、その材質も優れているという。
桐の木は成長が早く栽植してから20年前後で経済価値が十分でるという。
近ごろ道内各地の町村などで桜やナナカマドの「並木道」づくりの声が高い。仁木町内にも一風変わった「桐の並木」など如何なものであろうか。
出典:図書「続・ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1997(H9).12, p42-43: 10桐の木のこと --- 初出: 仁木町広報1992(H4).7
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