黒曜石の道

 黒曜石は別の名を十勝石とも言うが、その名の通り真黒くて硬い石で、そのにぎりこぶしくらいのなら、今でも余市川の河原に転がっているのを見かける。

 打ち砕くと貝殻のような割れ口をみせ、透き通った鋭い刃をもっている。筆者も小学生のころ、黒曜石を「ビンドリ石」と呼んだりして、そのかけらで鉛筆のシンをといだりいたずらにスネの毛を剃ったりした記憶がある。

 聞くところによると昔のアイヌは、イレズミをする際、黒曜石の細片を針代わりにして、これに樺皮を燃やしたススをつけて使ったという。

 ところで黒曜石の産地は大体きまっていてどこにでもあるものではない。今のところ北海道では十勝、北見の置戸や白滝、そして余市川の上流の曲川や土木沢付近だけである。

 黒曜石は元来、火山が活動した時の産物で、その際噴き出した軽石(浮石)と同じガラス質からなっている。赤井川の曲川や尾根内の土木沢のほとりに転がっている黒曜石は、太古の赤井川火山が活動したおり、他の岩石と共に溶岩として噴き出したもののようである。

 銅や鉄などの金属類を未だ知らなかった大昔の人は、黒曜石などで、いろいろな刃物を作った。1万年くらい前、余市川上流に住んでいた人々も黒曜石を割って作ったナイフや槍の穂先などに使って、熊や、鹿などの大型の獣を突き刺して捕まえたり、皮をはいだり、肉を切り裂くなど彼らの生活に欠かせない大切な道具であった。その後、弓矢に使う時代になっても黒曜石の重要さは変わらなかった。

 現在、後志の各地に散在している先住民族の遺跡や遺物の包含地は、今のところ数百カ所に及んでいるが、そこから出てきた石のナイフ、ヤジリ、槍の穂先などの大方は、余市川上流産の黒曜石で作ったものであると言われている。

 当時の人々は、余市川上流の黒曜石を求めて遠い各地からやってきたであろう。川をさかのぼり、谷を渡り峠を越え、尾根を伝わったその往来は、川筋、峠、尾根をつないだ踏み分け道になった。

 今、仁木町内はもちろん、後志全域に広がっている主な道路筋の原形は、この時すでに出来あがっていた黒曜石を運ぶ踏み分け道であった。

出典:図書「ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1991(H3).3, p72-73: 28黒曜石の道 --- 初出: 仁木町広報1984(S59).1

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