氷河時代の遺したもの ー 赤い土と灰色の土 ー

 大昔、それも200万年という遠い昔から現在にかけて、地質時代名は第四期と呼ばれ、別名を氷河時代ともいう。

 この氷河時代には何回にもわたって寒冷な時期(氷河期)と温暖な時期(間氷期)とが交互にやってきた。中でも最後に来襲したウルム氷河期という寒冷期は今から7万年くらい前から1万年くらい前まで続き、地球の1/3は氷雪に覆われたと言われている大氷河であった。

 氷河期には雨の一部は雪となり、それが溶けずに氷河となったものであるから、海へ戻る水の量が減少してしまう。そこで海面の低下がおこり、その低下は100m以上に及んだ。従って宗谷海峡や間宮海峡はなくなり北海道と大陸は地続きになったので、この陸橋を渡ってエゾ鹿や野牛やマンモスなどが移動してきたし、それを追って人類も渡来してきたという。

 北海道に氷河の痕跡が認められるのは日高山脈だけであって、大部分は現在シベリアなどで見られるような不毛な永久凍土(ツンドラ)が拡がっていた。

 ところで、道内でも比較的気候に恵まれている仁木町付近にあっても、氷河期には年平均気温は0℃くらい(現在は年平均気温8℃)であって、北樺太やシベリアの気候に等しかったと推定されており、この寒冷な気候は積丹半島付近から北の海を凍結させたばかりでなく、海水の蒸発を防げたので長い冬季間には、雪がほとんど降らない状態であり、そのため陸地は不毛の永久凍土(ツンドラ)になり、短い夏季には表面だけ氷が溶けた地上に背丈の低い高山植物が地をはい、谷間や日だまりに僅かばかり針葉樹が疎林をつくる程度であった。

 こんな場所には地面の表層が漂白されて灰色をしたボサボサの土ができた。このような土壌をロシアではポドソル(灰白色土)と呼びシベリアなどに広く分布しているが、肥沃度は概して低い土壌である。

 仁木町の大江や銀山の丘陵地にはこれに類する土(灰色埴壌土)が小範囲であるが残っていて、寒冷であったツンドラ気候時代を偲ばせている。

 ところで、仁木町東町のモンガクから余市町栄町にかけての丘陵や台地上には鮮やかな赤色に映える土がところどころに見受けられる。

 これは赤色土と称される亜熱帯地方などに生成される土壌である。現在赤色土が生成されているのは中国の東南部や沖縄などにみられているが、岩石中に含まれている鉄分やアルミナ分などが高温多雨気候のため酸化や還元が繰り返された結果、鮮やかな赤色を呈するようになったものであるという。

 仁木町付近でも温暖な間氷期には土の赤色化を進めた気候環境が存在したのであろう。

 寒冷期のポドソル性土壌や温暖期の赤色土壌が丘陵や台地上に残存していることは、仁木町の過去の気候の示標であり、いずれも酸性度の高い土質であってみれば農牧業にも少なからず影響している筈である。

出典:図書「ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1991(H3).3, p28-29: 9氷河時代の遺したもの ー 赤い土と灰色の土 ー --- 初出: 仁木町広報1982(S57).3

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