2間四方位の祠堂内には明治21年(1888)10月、笠井万治他数名の方が世話人となって建立した青面金剛とその両側に無銘の仏像が並んでいる。
この青面金剛は温容な顔つきであるが、6本の手がありそれぞれ剣や捕縄、槌などをしっかりと携え四つんばいになった天邪鬼[あまのじゃく]の上にどっしりと立っている。その下に「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が並んでいて見るからに異形な姿であるが、青面金剛は庚申さんの本尊であるという。
この仏像群をとりまくように紅白の幟や千羽鶴、大小さまざま色とりどりの縫いぐるみの猿などが所狭しとばかり供えられている。これらには願主の住所、姓名、年令など記されているが、それによると年令2 - 3歳の幼児から80歳前後までの老若男女、しかも町内ばかりでなく近隣の余市、古平、小樽さらに札幌、滝川、旭川、北見と全道に及び、遠いのは埼玉県や東京からの祈念参詣者あるのに驚く。仏前には線香やローソクが積まれ、活きいきした切花と共に菓子や果物が供えられている。
庚申堂内 |
ところでこの庚申信仰、昔中国から伝来したものと言われているが、中国の信仰によると暦のカノエサル(庚申)の日には人間の体の中に三尸[さんし]と称する虫が潜んでいて、少しの過失も見のがすことがない。
庚申の夜には人が眠っている隙に体内から抜け出して天上に昇り、その罪悪を天帝に告げるので人は命を奪われる。そのためこの日は夜も眠らず慎んでいると三尸が天上に昇るのを妨げて長生きするという考えである。これが奈良時代に我国へ伝わり庚申の夜には徹夜をして語り合い酒食の宴を催す風があった。
ところが、時代が下るにつれて我国古来の猿田彦神や道祖神さらに仏教とも結びついて、疫神や悪霊を排除したり、旅人の守護ひいては災難や厄除け、流行病その他眼病や皮膚病などの治療に導いてくれるという信仰になり現在に及んでいるようである。
かってここ一番地に庚申塔を建て、村人の生活や道ゆく人々の安全を祈念した先人の方々の温かい心根に頭が下がる。
穴あき石(祈願者が供えた) |
出典:図書「ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1991(H3).3, p38-39: 13一番地の庚申さん --- 初出: 仁木町広報1982(S57).8
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