彗星は昔から箒星とも呼ばれ、洋の東西を問わず不吉な星とされていた。
「彗星が現れるのは大飢饉や戦争が起こる前ぶれである」とか、「地球と衝突して人類が滅亡する」などと、根も葉もないうわさが乱れ飛んだ。
明治43年(1910)5月に現れたハレー彗星は、大きな頭とそれから竹箒のように先が広がった尾を持っていて、次第にかがやきを増していき、大空を見上げる人々の心をおびやかした。
だが、幸いにも地球に衝突することもなく、この星がもつ毒ガスに包まれるという恐れも、デマで終わったことは言うまでもない。
しかし、ハレー彗星が去った翌年から我国には大災害がつぎつぎに起こった。明治44年5月、北海道の各地に山火事が頻発してその被害甚大。仁木町もその大火に見舞われた。
火元は平内川の上流、折からの西南の強風にあおられた火の手は、たちまち頂白山に駆けあがって山全体を火の海で包み、その東麓に広がっていたフレトイ川の農家20数戸を瞬く間に全焼、更にトクシナイの奥から登町へ燃え移って山野や家を焼いた。
一方、砥の川の山林へ飛んだ火は砥川小学校や人家をおびやかし、続いて下山道(豊丘)の山林や開墾中の農家を襲い、火は白岩や豊浜の海岸近くまで迫った。
明治45年(大正元年)7月30日、明治天皇崩御。
大正2年は、我国未曾有の大冷害、大凶作。殊に東北地方や北海道は甚だしく、農作物は7割から9割の減収、仁木町もまたその例外ではなかった。米作は皆無に近く麦や豆類も不作で農家の多くは、笹の実を粉にしたダンゴやオカラやヌカまで食べて飢えをしのいだという。
続いて大正3年、第一次世界大戦が勃発し、この年8月、我国も参戦してドイツに宣戦を布告した。
さてハレー彗星は、太陽のそばを廻って太陽系の果てにある海王星の近くまでいき再び戻ってくる。こうして細長い軌道を描いてぐるぐる廻っているが、彗星の頭部にあたるところは、メタンやアンモニアを含んだ氷とチリの固まりであり、その尾は水蒸気やいろいろなガスからできていて、その長さも数千kmから1億kmに及ぶという。
こんにち、「彗星の出現が不吉な前ぶれである」などと信ずる者はおよそいないであろうが「天災は忘れた頃にやって来る」と言う先人の訓えは、ゆめ忘れてはなるまい。
ハレー彗星(明治43年5月撮影) |
出典:図書「ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1991(H3).3, p100-101: 41ハレー彗星 --- 初出: 仁木町広報1985(S60).3
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