阿波の毬つき歌

 手毬[てまり]をつきながら、それに合わせて面白い童謡などを調子よく歌う、そんな歌が毬つき歌。

 手毬も古くはもめん綿を芯にして、それに糸を巻きつけたものであったが、反跳力の強いゴム毬になってから大いに盛んになった。

 明治19年、はじめてゴム毬が輸入されたが、一般に出回るようになったのはずっと後のこと。仁木では欧州大戦後、大正8,9年頃から女の子供達の間でもてはやされるようになった。男の子はボールの投げあいくらい。

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 どんどーや一どんど、どんどーや二どんど、どんどーや三どんど、どんどーや四どんど、どんどーや五ぇ上り。
 手叩きざくろが一匁、手叩きざくろが二匁、手叩きざくろが三匁、手叩きざくろが四匁、手叩きざくろが五ぇ上り。
 お髪をときつけ一匁、お髪をときつけ二匁、・・・五ぇ上り。
 お白粉[しろい]つけましょ一匁、お白粉つけましょ二匁、・・・五ぇ上り。
 頬紅つけましょ一匁、頬紅つけましょ二匁、・・・五ぇ上り。
 口紅つけましょ一匁、口紅つけましょ二匁、・・・五ぇ上り。

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 猫の嫁入り鼬[いたち]が媒介[なこど]、二十日鼠が五升樽さげて、裏の細道ちょこちょこ走り、なんぼ走ってもあの山越えて、超えたらさきらで碁石を拾う手、砂で磨いてやすりにかけて、紙に包んで高野へやれば、高野住持さん金じゃとおっしゃる。金じゃござらん碁石でござる。

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 大黒さんと言う人は、此界[このかい]の人でない、一に俵ふんまえて、二ににっこり笑うて、三で酒をつくり四で世の中よい様に、五ついつもの如くに、六つ無病息災で、七つ何事無い様に、八つ屋敷を買い拡め、九つ小倉を建て並べ、十でとつくり納まった。

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 田吾さん田吾さんよい男、袂[たもと]にもつとるそれなんで、お白粉箱や紅箱じゃ、誰にやるとて持つとるん、お倫にやるとてもっとるの、お倫いらんと振り戻す、振っても振らさんこらお倫、お倫こらこらどして髪とかんぞ、櫛[くし]が無いのか梅香[ばいか]が無いのか、櫛も梅香も沢山ござるよ、昨夜田吾さんがカルタに負けてよ、それが腹たつて髪とかんよ髪とかんよ。

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 鳴り物盡[つく]しで言うたなら、鼓太鼓[つづみたこ]は締めて鳴る、料理屋の二階で三味が鳴る。チョコの間にお手が鳴る、戸棚箪笥の鐶[かん]が鳴る、安珍清姫蛇になる、夜明けにゴンゴン鐘が鳴る。

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 白いお山に火がみえる。星か螢かお提灯か、お提灯とぼして来てみれば、それはお山のお祭りじゃ、お祭りじゃ、太鼓持ちゃドン、駕籠[かご]かきゃホイ、按摩とりゃピイ。

出典:図書「ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1991(H3).3, p98-99: 40阿波の毬つき歌 --- 初出: 仁木町広報1985(S60).2

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