仁木町内に残っている「フレ」という地名

 フレ(または、フーレ)とは、アイヌの言葉で「赤くある(なる)」と言うことで、山の崖などで崩れて赤い地肌が露われているものや、川や沼について言えば古川などで水が停滞し、ヤチ気で底が赤くなっているようなところを言う。(知里真志保)

 日高の振内(フレナイ)、手塩の風連(フーレン)、それに後志では古宇(フルウ)や古平(フルビラ)、隣の赤井川村も「赤い川(フレベツ)」で、これに類した地名が北海道の各地にたくさん残っている。

 仁木町内にも、大江2丁目の古別沢(フルベツ沢)、同じく2丁目の七曲り付近にフレトナイやフウレヒラなどがあり、仁木町東町のフレトイ川もよく知られている。

 古別沢は、アイヌ語のフルベツで「赤い川」のこと。この川の流域一帯は赤井川ロームと呼ばれている火山性の赤土に覆われている地域のため、川水が赤く濁りがちであったので、赤い川と名づけられた訳であろう。

 七曲りにあるフレトナイやフウレヒラ付近は、余市川の本流が山麓をけずり、その崖下を鉄道線路が曲がりくねって走る難所である。フレトナイは「丘が・そこで・きれている・所」の訳で、七曲りの山が谷川によって切れ、その断面が赤土などに覆われている所であり、その隣にあるフウレヒラは「丘の・赤い・崖」の意で、140年ほど前にここを通った松浦武四郎も「小さき山の崖崩れ」と考えていた。古平町の元の名も「フウレヒラ」で、その意は「赤い崖が崩れ」た所というが、七曲りの「フウレヒラ」と比べると地形その他ほとんど同じであることから同類の地名ではないかと思える。

 ところで、仁木地区のフレトイは「赤い土」または「赤い土地」のことで、開拓時代から近年までフレトイの沢筋一帯を指す地籍名であったが、今はフレトイ川にその名残をとどめているにすぎなくなった。

 この川は頂白山の東麓を廻り、仁木神社の山からモンガクへ続く丘陵地を横切って深い谷を穿ち、流れを急に西北に変えて種川に注いでいるが、その「赤い土地」は谷の崩れた崖ぶちやそれに地続きの内藤、岡の両氏の地所などに赤土をのぞかせている。

 この丘陵地一帯も赤井川ロームをかぶっている。火山性の赤土で粘性の強い酸性土であるが、開拓時代は麦や豆類、今はりんごやぶどうなどをのせている。
 アイヌ時代には種川やフレトイ川を遡上するサケやマス、それにフレトイ丘陵の山の背伝いに移動する鹿や熊などの狩猟に好位置であり、また西日を受けて冬でもしのぎやすい。清冽[せいれつ]な湧水も豊かなところで、付近にはアイヌ民族以前の縄文時代の土器や石器類があちこちに出土する、数千年も前から人が住みついた所であった。

 仁木町に多い地名「赤い(フレ)」はつまるところ、その昔、赤井川火山の活動がもたらした火山灰や熔岩類が酸化して赤褐色に染まった土壌や岩壁などに、アイヌの人達がつけた名称であった。

出典:図書「ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1991(H3).3, p226-227: 82仁木町内に残っている「フレ」という地名 --- 初出: 仁木町広報1990(H2).7

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