剣術を広めた人たち

 徳島県市場町出身の大森島蔵氏は、元来庄屋の出で撃剣[げきけん](剣術)の名手、貫心流の達人と言われた人であった。

 明治30年ごろ故あって来道、余市川の左岸尾猿内(旭台)の地をもとめてその開墾にたずさわったが、そのかたわら近隣の若者達を集めて当時撃剣とも呼ばれていた剣術の稽古をつけ続け、その技を高めるとともに心身の練磨と修養を深めさせていった。

 明治末期から大正時代には、その門弟の中から大天狗と呼ばれた阪東啓[はじめ]や小天狗といわれた井内福太郎など高弟が大勢現れ、当時剣術は若者達のあこがれの的となり、仁木村をはじめ馬群別(銀山)、長沢、尾根内から赤井川へと広がり各地に稽古場や道場が設けられ、大森師範はその高弟らと共に巡回指導に当った。

写真は「馬群別青年撃剣会」大正元年ころ馬群別小学校前庭で撮影(大森正氏所蔵)
前列:向って左から川人鶴五郎・越智晴海(少年)・越前一三・不明・河野豊蔵・土野鶴平・不明、中列:向って左から小児・千葉某・久保筆助・井内福太郎・師範大森島蔵・阪東啓・巡査・斉藤某と小児、後列:向って左から谷口弥三郎・窪田谷平・井内章一・大森新一・宇山秀太郎・不明

出典:図書「続・ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1997(H9).12, p65: 20剣術を広めた人たち --- 初出: 仁木町広報1993(H5).7

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