柔学社一同の写真

 柔道の師範大塚文平(文兵衛)が、明治20年すぎから余市郡仁木村(現在の西町)の自宅に同好の青年を集めて柔術(柔道)の指導をはじめたが、年毎に盛況を呈した。ここに門人らが集まって「柔学社」なるものを組織し、柔術の稽古を通じてその技を高めると共に心身を鍛錬し、かつ修養を深めたが、さらに「仁木青年共和義団」を結成、私立消防団として活躍するに至った。

 その後、大江消防組(大正10年)、大江警防団(昭和16年)、仁木消防団(昭和22年)、そして現在の北後志消防組合仁木支署へと、その名称や機構など変遷したが、けだし柔術師範大塚文平が創立した仁木青年共和義団がその源流であると言えよう。

明治35年正月15日、柔学社道場前庭の雪上に畳をしき襦袢袴を着して列座す
前列左より4人目大塚要之助、1人おいて内藤周太郎、中列左より3人目師範大塚文平、後列左より7人目妹尾梅太の各氏で、いずれも故人。

出典:図書「続・ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1997(H9).12, p64: 19柔学社一同の写真 --- 初出: 仁木町広報1993(H5).6

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