「虎は千里の藪に棲む」というが、実はアジアの特産でインドや中国の深林に棲む猛獣である。
干支では十二支の第三の寅にあたるが、その強くてたくましい虎にあやかってか寅年生まれの人の名には、筆者が知っている人だけでも寅雄、寅吉、寅彦、小虎、一虎、虎三、虎太郎、虎之助、虎之丈、猛、猛雄と男に多く、女の名には極めて少ない。
かつて戦争に行く時、寅年の男に雌と雄の虎の絵を描いてもらって精[しょう]を入れ、雌の方の絵を家において出征すると、生まれた家へ無事帰還できるといわれていた。
また、一片の布に1,000人の女が赤い糸で人針ずつ縫って1,000個の縫玉をつくり、召集令状をうけて出征する兵士のために、武運長久とその安泰を祈願して贈った千人針の胴巻き、その際、寅年生まれの女だけは特に各自の年令数だけ縫えたのであった。
これらは「虎は千里行って千里帰る」という言い伝え(諺)に基づくものであり、出征兵士の無事帰国を祈ったものであることは言うまでもない。
ちなみに寅年生まれの女も、丙午年生まれの女ほどではなかったが、やはり縁談などが遠かった。「私もそれに悩んだことがあったが、理解のよい夫に嫁ぐことができてうれしかった」と、現に在町の一婦人から聞いたが、これも「虎は千里行って千里帰る」の因習が招いたわざわいであろう。
「虎の日に葬式を出すな」とか「虎の日に死人を葬ると七つの墓が立つ」などといやな俗信もあって、この日の葬儀は出来るだけ避けた。しかし、やむを得ない場合には、「虎除け」の祈祷を済ませてから行った。友引を忌む習慣は現在でもなお根強いが、戦前までは虎の日にもそれにこだわる人が相当あった。
虎の尾を踏む
虎視眈々
竜虎相搏つ
両虎相闘えば勢い俱に生きず
何やら物々しく物騒なのが目につく。その昔、戦国乱世に生きた中国人の生活の知恵、処世の訓えであろうが、しかしそれは現生にもそのまま通ずるものが多いように思える。
イデオロギーのちがう東西の竜や虎にたとえられる巨大国。もしも「竜虎相搏つ」ような事態が起きるとすれば、それこそ「両虎相闘えば勢い俱に生きず」どころの騒ぎではない。地球は破滅に追いこまれてしまうであろう。
日本は今、欧米との経済戦にもまれながらも国民所得は世界的にのしあがった。しかし景気は下り坂。庶民は皆重税に苦しみはじめた。「苛政は虎よりも猛し」と、政治に携わる人に耳を傾けてもらいたいものである。
我々もまた、「1日の計は寅(午後4時)にあり1年の計は春(新春)にあり」と、胆に銘じなければなるまい。
出典:図書「ふるさと再発見」久保武夫 著, 仁木町教育委員会発行1991(H3).3, p120-121: 49虎にちなんだ諺 --- 初出: 仁木町広報1986(S61).1
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