仁木で暮らす
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ふるさと再発見 歌 仁木小学校 大正時代

大正時代の仁木小学校

1.校舎と校庭 大正時代の仁木小学校は、木造柾ぶき板壁の平屋建てであった。  教室が8つ、教員室1つからなる一の字型の校舎で、その両端には児童玄関があり、やや中程に教職員や来賓専用の正面玄関が大きく構えていた。  明治の末に、校地を広げ校舎を増築したとはいえ、全体的に...

ふるさと再発見 昭和時代 仁木小学校 大正時代 北町 明治時代

仁木小学校の生いたち

 仁木町内の小学校は仁木、砥の川、然別、大江、馬群別(銀山)、尾根内、長沢の7校であったが、その中で明治19年(1886年)10月15日に開校された仁木小学校が最も古く、今年で開校満100周年を迎え、現在までに 六千数百名に及ぶ卒業生が巣立った。  仁木小学校は最初、仁木村3...

ふるさと再発見 旭台 銀山 剣術 原士 江戸時代 大森島蔵 大正時代 長沢 徳島移民 徳島藩 馬群別 尾猿内 尾根内

原士の後裔

 徳島藩の二代目藩主であった蜂須賀忠英が慶安3年(1650年)、領地内を巡視したおり、たまたま阿波郡(現在市場町)の土地柄をみて、あまりにも未開の山地や原野が多いのに驚き、藩内の農業生産を高め年貢収入を増加させるためにも、広々とした原野を開墾しなくてはならなぬと考えた。  元...

ことわざ ふるさと再発見 健康 民間伝承

健康に関する言い伝え

 昔から「四百四病」といわれるように病気の数はすこぶる多い。  われわれの心身をおびやかす数多い病から何とかして逃れる方法はないものか、人間は大昔から必死になってこの問題に取り組んできた。  どうしたら病気に罹[かか]らないか、どうしたら早く治せるだろうかと。  その...

ふるさと再発見 フレトイ川 粟屋貞一 種川 水車 精白 製粉 大江 大黒沢 大正時代 中の川 動力 平内川 墓地川 北町 明治時代

水車のおぼえ書き

 自然の流水を利用して臼[うす]の中の米や麦を搗[つ]いたり、挽き臼を廻して小麦やソバを製粉する水車。日がな一日ゴトゴトと、のどかな音をたてながら回り続ける水車は昔の農村の言わばひとつの風物詩でもあった。  「精出せば凍る間もなし水車」・・・回っている水車が凍らないように、怠...

ふるさと再発見 仁木駅 仁木停車場線 停車場通り 道道455号線 北町 明治時代

仁木停車場通り

 仁木駅から国道5号線沿いの北海信用金庫仁木支店前までの道路を昔から「停車場通り」と呼んでいた。  ゆっくり歩いても4 - 5分間、その距離もたった500m。それでも「道々455号線(仁木停車場線)」と立派な道路標識が立っている。総幅員12m半、完全舗装された道路の両側には広...

ふるさと再発見 フレトイ フレトイ川 旧地名 凶作 災害 山火事 徳島移民 農業

フレトイの沢

 大昔アイヌの人達が「ルレトイヌプリ(山)」と呼んでいた頂白山、その南から東の麓をめぐって種川に落ちこみ、余市川に注いでいるフレトイ川は、長さ10km足らずの小さな谷川である。その下流には仁木平野の一角に大きな扇状地を広げて果樹園や水田をのせ、中流から上流にかけては丘陵地上に深い...

エビス岩 ふるさと再発見 粟屋貞一 火山 区画峠 仁木町民スキー場 赤井川カルデラ 然別鉱山 大黒山 大黒沢 断層 地質 余市川カルデラ 林業

エビス岩と大黒沢

 函館本線の仁木駅を出て、上り列車がやがて余市川の鉄橋を渡り然別に近づくと、五剣山の麓から大きな崖[がけ]が押しだして鉄道線路に迫っている。これがエビス岩。  前へ廻ってみると、それはちょうど扇子を逆さにかざしたような形に見える岩壁で、烏帽子を冠ったエビスの顔ともとれるので、...

ふるさと再発見 三井物産 仁木竹吉 北町 明治時代

三井物産会社の一斗枡

 仁木町北町12丁目の旧家村田勇氏宅には、かって三井物産株式会社仁木村出張所で使用されていた「一斗枡」が所蔵されている。  これは穀物や豆類などの量を計った木製角型の一斗枡(約18L)で、その底裏には中央に三井物産のマーク(井桁三:下図参照)、その両側に「明治弍拾壱年十月」「...

ふるさと再発見 フレトイ モンガク 旭台 霜害 中の沢 砥の川 東町 得志内 南町 農業 晩霜

晩霜

 梅や桜の花がちり、やがてスモモの花が咲きはじめ、木々の梢がうつくしく芽吹くころになると郭公[かっこう]がわたってくる。  「郭公が鳴いたら豆を蒔け」とか、「スモモの花が咲いたらもう霜の心配がない、何を蒔いてもよい」と、昔の人々はこれを種子蒔き時の目安にしていた。  仁木...

ふるさと再発見 大正時代 暖房 湯タンポ 明治時代

湯タンポ

 寝床などに入れて足や体を温める湯タンポ、近年は手軽で便利な電熱のコタツや毛布、足温器などが一般に普及したので、いつの間にやら従来の湯タンポは家庭から影をひそめていた。  ところが最近、あの小判型をしたトタン製の湯タンポが金物屋の店先などに並べられている姿がチラホラ目について...

ことわざ ふるさと再発見 虎 民間伝承

虎にちなんだ諺

 中国では「虎は百獣の王」と呼び、そして虎は昔から神秘なものであり、またおそろしいものであると考えられていた。  「虎は千里の藪に棲む」というが、実はアジアの特産でインドや中国の深林に棲む猛獣である。  干支では十二支の第三の寅にあたるが、その強くてたくましい虎にあやかっ...

ふるさと再発見 凶作 災害 農業 風水害 余市川 冷害

仁木町の冷害と風水害

 農作物が不作や凶作になる原因は、気候の異変によるものが多い。それには洪水や暴風雨のため作物が荒らされたり、日照り続きで作物が枯死したり、霜がおりたりして作物が萎死してしまう場合がある。農作物は常に天候に支配され豊作になるのも凶作になるのも、その年の天気次第といってよい。  ...

ふるさと再発見 火山 旧地名 仁木小学校 仁木竹吉 地質 地名語源 頂白山 土壌

頂白山

 頂白山[ちょうはくさん]は赤井川盆地の外輪山にあたる大黒山(724.3m)の北側に噴出した一種の火山体で、その高さ460.8m、余り高い山ではないが、仁木の平原から眺めると山頂から麓にかけて穏やかな稜線に囲まれ、特に山頂と山腹にふっくらと円みが残っている。いうなれば大きな鍋を伏...

ふるさと再発見 子ども 植物 大正時代 遊び

相撲とり花

 大正時代の子供らは、身近にある草や木片などで遊び道具を自分で作ってあそんでものだった。例えば、 ・スミレ  道端や畑の隅に春から夏にかけてうす紫の花をつけるスミレ。この花を抜いて花首の曲がりを互いに組み合わせて引っぱりあい、傷ついた方を負けとする。1人でも遊べるし2人か3...

ふるさと再発見 ヨイチ越え山道 温泉 旧地名 共進 山道村 人馬継立所 然別 然別駅 然別鉱山 然別川 大江 断層 地名語源 明治時代

然別雑記

 現在の仁木町然別は、もと大江村大字山道村字下山道然別と称していたが、元来アイヌの人たちがつけた地名であって、彼らはシ・カリ・ペツと呼んでいたようである。  安政4年の春、箱館奉行の村垣淡路守は、新しく切り開かれたヨイチ越山道を検分のため岩内からイナホ峠を経て余市へ越えたが、...

ふるさと再発見 粟屋貞一 久保勘次郎 元木孫市 山川滝五郎 山道村 昭和時代 松浦武四郎 仁木村 仁木竹吉 大江村 大正時代 町制施行 明治時代 槇垰幾太郎

仁木町の百年

 北海道は古くからエゾ地と言われてきたが、もともとエゾというのはアイヌやその他の民族の名の総称であって地名ではなかった。  口エゾ、奥エゾ、東エゾ、西エゾ、北エゾ(樺太)などと呼んでいたのを、実は民族名を転用していたのである。しかしこれはまぎらわしいことが多いので、幕府時代か...

ふるさと再発見 粟屋貞一 稲作 大江 東町 農業 米 北町 明治時代 用水路

仁木町の米作

 仁木町の米作は昔から果樹や果菜類とともに基幹作物の一つである。  近年その耕作技術などが著しく進歩し、今では米の収量も反当たり10俵をこえるようになり、昭和初期のそれに比べると2.5倍以上にも及んでいる。  仁木町の米作りは、明治30年ころから目立ってきたが、それは開拓...

ふるさと再発見 火災 山火事 水 大黒山 頂白山 平内川 明治時代

頂白山の水

 仁木町の飲用水が近隣の市町村のそれに比べて、水質がよく味もすぐれていると、とかく外来者の評判であり仁木町民もそう思っている者がおおい。  最近「日本一うまい水」ということで売り出している倶知安や京極、真狩などの水は、元来羊蹄山の火山灰砂や熔岩のすき間をくぐり抜けてきた地下水...

ハレーすい星 ふるさと再発見 凶作 災害 山火事 大正時代 第一次世界大戦 農業 明治時代 冷害

ハレー彗星

 来年の春、ハレー彗星が76年ぶりに地球に接近するという。  彗星は昔から箒星とも呼ばれ、洋の東西を問わず不吉な星とされていた。  「彗星が現れるのは大飢饉や戦争が起こる前ぶれである」とか、「地球と衝突して人類が滅亡する」などと、根も葉もないうわさが乱れ飛んだ。  明...

ふるさと再発見 歌 子ども 徳島移民 民間伝承 遊び

阿波の毬つき歌

 手毬[てまり]をつきながら、それに合わせて面白い童謡などを調子よく歌う、そんな歌が毬つき歌。  手毬も古くはもめん綿を芯にして、それに糸を巻きつけたものであったが、反跳力の強いゴム毬になってから大いに盛んになった。  明治19年、はじめてゴム毬が輸入されたが、一般に出回...

ふるさと再発見 開拓 後志種川 仁木竹吉 仁木平野 扇状地 農業 余市川

仁木平野と種川

 今から、7 - 8千年程前まで仁木の平野は海の底であった。余市の海がずっと湾入していて然別付近まで入江になっていた。  その後、余市川は上流から絶えず土や砂を運びこみ、ついで余市の海岸にも沿岸流によって砂州が細長く東西にのび、入江の口を塞ぐようにせばめたので余市川の堆積作用...

ふるさと再発見 温泉 火山 余市川流域

余市川流域の温泉

 近年、余市川の流域には相次いで温泉が発見されている。  10数年前、余市町茂入山上のボーリングで温泉の兆候が認められたが、それから数年後には茂入山の南麓の河口付近に余市川温泉が湧出した。また、それに程近い浜中町丘陵上の畑地にも温泉の掘削が進められているし、ごく最近では大川町...

ふるさと再発見 ヨイチ越え山道 旭台 玉虫左太夫 桐谷太兵衛 桐谷峠 掘利煕 島義勇 尾猿内

桐谷峠

 桐谷峠、それは仁木町旭台(オサルナイ)から余市富丘(下山道)へ越える峠につけられた呼び名で、仁木神社付近からこの峠道を遠望すると旭台の山並みが馬の背のように走っている。その最も低い鞍部になっている所が桐谷峠で、そこは大森正氏の地所のわきにあたっている。  今はこの峠道を辿る...

ふるさと再発見 ヨイチ越え山道 旧地名 江戸時代 七曲り 大江 余市川

七曲りと言うところ

 国道5号線を小樽に向かう観光バスが大江小学校を過ぎるころ「・・・左に見えるは鮎の棲む清流余市川、それをまたいでいる小ぢんまりした橋、ごらんの様に真直に架かっているのにその名は七曲り橋・・・」と、ガイド嬢がシャレを飛ばしていたが、もう10年余りも昔のことである。  試みにこの...

アイヌ民族 ふるさと再発見 旧地名 魚 銀山 松浦武四郎 地名語源 馬群別 馬群別川

地名からみた銀山

 仁木町銀山は、開拓時代から馬群別と呼ばれていたところであるが、昭和48年(1973)3月、同じ地域内にある国鉄函館本線の駅名にならって銀山と改められた。  銀山駅は明治38年(1905)1月、開通した当時の北海道鉄道会社が、この付近にあったルベシベ鉱山や大富鉱山(銀山市街の...

トマト ふるさと再発見 仁木小学校 農業 農産物加工

トマト作りの由来

 近ごろは温室栽培のおかげで冬でも珍しくなくトマトが食べられる時代であるが、旬はずれのトマトは色が冴えず本来の味が出ていない。  その点、仁木のトマトはほとんどが露地ものだから、色つやが鮮やかで味も申し分ないほどである。従って最近生産が急に上昇し、道内はもちろん、東京の市場に...

アイヌ民族 ふるさと再発見 旧地名 農業 北町 余市川

ライクロハッタリとシュプントウ

 ヨイチ運上家や北大図書館にあった古い記録類を読んだ。  ヨイチ付近にまだ和人が定着していなかった頃からアイヌの人達が食糧など耕作していた。それは余市川の下流仁木と余市の町境にあるライクロハッタリやシュプントウ付近であったという。  ここは余市川が蛇のくねったように曲流し...

ふるさと再発見 鮎 余市川

余市川の鮎

 魚ヘンに占と書いて「アユ」と読ませる。その時の通り昔は戦況を占うのに鮎が用いられた。『日本書紀』にそのことが出ているのだから鮎は古い魚である。  鮎はその姿、色調、動作、風味などの点から見て川魚の女王というにふさわしい。普通1年で死ぬから年魚、独特の芳香があるので香魚ともい...

ジャガイモ ナス科 ふるさと再発見 澱粉 徳島移民 農業

ジャガタライモ覚え書き

 ジャガタライモ(ジャガイモ)は、その形が馬の鈴に似ているので馬鈴薯の名がついたという。  仁木の人々は昔「ニドイモ」と呼んでいた。たまに「ゴショイモ」ということはあったが「バレイショ」とは呼ばなかった。  郷里の徳島県では年に2回収穫できるのでニドイモ、1株から5升以上...

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