明治時代の終わりころから大正時代にかけての仁木小学校卒業記念写真が筆者の手もとにある。その中で最も古いのは明治43年3月公立仁木尋常高等小学校尋常科19回卒業生21名のものであるが、それを見ると、男子児童は縞やかすりの着物に羽織はかま姿、女子は紋つきが目だち、えび茶や紺と思われ...
南と西と北の三方は山をめぐらし、東は余市川を距てて仁木の市街にのぞんでいる砥の川は、かってアイヌ語でルイオツ(砥石の出るところの意)と呼ばれていた所でこれが現在の地名のもとになったものと言われている。 砥の川へ和人がはじめて入植したのが明治23年(1890)頃とされている...
町教育委員会の書庫から古い写真が2,3枚でてきた。その中の1枚はどうやら鉄道開通当時の然別停車場前の情景とみえる。下にかかげた写真がそれである。 写真のほぼ中央に「しかりべつ」と右から左へ、その下にローマ字で「SIKARIBETSU」と記された駅名板が立っており、それを背...
昭和11年10月15日、公立仁木尋常高等小学校開校50周年記念式典が開催された。 仁木女子青年団は、この記念事業の一つとして敬老会を催した。当日出席された古老の方々は男女合せて50余名にのぼった。その折の記念写真を紹介します。 仁木町憲章のはじめに、「私たちはきびし...
仁木町銀山は、開拓時代から馬群別と呼ばれていたところであるが、昭和48年(1973)3月、同じ地域内にある国鉄函館本線の駅名にならって銀山と改められた。 銀山駅は明治38年(1905)1月、開通した当時の北海道鉄道会社が、この付近にあったルベシベ鉱山や大富鉱山(銀山市街の...