仁木で暮らす
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イベント

献血来ます

献血 実施日:11月28日(火) 場所 1:新おたる農業協同組合9:30 - 10:30 2:銀山学園12:10 - 13:00 3:仁木町民センター14:00 - 16:30

フルーツ街道 ふるさと再発見 フレトイ川 吉広橋 地質 平内橋 平内川 明治時代

平内橋と吉広橋

 小樽から塩谷・蘭島・余市を経て仁木町に至り、南町8丁目付近で国道5号線に合流する延長20kmにおよぶ広域農道は、数年前から着々と工事がすすめられていてその完成も遠くないようである。  中でも仁木地区内の開削は、登町から続くモンガク・フレトイ・平内へとほぼ東西に連なる高さ50...

ふるさと再発見 県民性(徳島) 徳島移民

徳島県の県民性

 数年前のことである。仁木町内の小、中学校の先生方を前に「仁木町の自然と歴史」について講演した折り、某校の校長から質問を受けた。「仁木の人は一般にへらこいと言われているようであるが、その”へらこい”とは一体どんなことなのか」と。  筆者は内心ハッとしたが、その場はなんとか繕っ...

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仁木町観光協会

仁木町観光協会 http://www.niki-kanko.jp/

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仁木町(役場)

仁木町(役場)

ふるさと再発見 ヨイチ越え山道 殉職 明治時代 郵便

吉田七五郎氏殉職のこと

 北海道郵政局の殉職者名簿に、   殉職者 余市郵便局脚夫   吉田七五郎  記事  明治十八年四月十五日 余市郵便局ヨリ山道郵便局ヘ郵便逓送ノ帰路 降雪ト出水ノタメ溺死 同年五月十六日 余市郡川村字古川川岸ニテ遺体発見 同年八月十日付デ駅逓局ヨリ実父吉田丑蔵ヘ埋葬料金...

イベント

健康運動教室

講師:一般社団法人地域ウェルネス・ネット 健康運動指導士 日程 12月12日(火)13:30 - 16:00 実技:日常生活で実践できるイス・マットを使う室内運動 講話:代謝をあげるために日常生活でできることについて(予定) 場所:仁木町民センター(多目的ホール) ...

イベント

小学生スキー教室、来月7日に受け付け(道新記事2017.11.23)

イベント

仁木地区学級第2回講座 3B体操教室

日時:平成29年12月10日(日)午前10時〜 場所:仁木町民センター・交流ホール 講師:3B体操協会公認指導員 対象:仁木地区に在住又は勤務している方 参加費:無料 申込は平成29年12月1日(金)午後5時00分まで

イベント

仁木混声合唱団第26回定期演奏会

とき:平成29(2017)年12月2日(土)     午後2時00開場 午後2時30分開演 ところ:仁木町民センター・多目的文化ホール 入場無料 主催:仁木混声合唱団 後援:仁木町教育委員会・仁木町文化連盟・北海道新聞社余市支局

ふるさと再発見 交通 山田民弥 地名語源 南町 平内

平内とその界わい

 平内[ひらない]とは、アイヌ時代にピラナイと呼んでいた所で、ピラは崖、ナイは川の意で「崖(ピラ)のある川(ナイ)」のことであるが、和人はこれに漢字を当てて平内と呼ぶようになった。  平内の沢(平内川)は、早くから開けた所で、はじめは主に鰊場へ建築材、船材、薪炭材などを伐り出...

アイヌ語 フウレヒラ ふるさと再発見 フレトイ フレトイ川 フレトナイ 古別沢 七曲り 大江 地名語源 東町

仁木町内に残っている「フレ」という地名

 フレ(または、フーレ)とは、アイヌの言葉で「赤くある(なる)」と言うことで、山の崖などで崩れて赤い地肌が露われているものや、川や沼について言えば古川などで水が停滞し、ヤチ気で底が赤くなっているようなところを言う。(知里真志保)  日高の振内(フレナイ)、手塩の風連(フーレン...

ふるさと再発見 ルベシベ鉱山 銀山 大江

旧ルベシベ鉱山探訪

 仁木町大江3丁目、ルベシベ川の上流に古くから金や銀、銅、亜鉛それに硫化鉄鉱などが採れるルベシベ鉱山があった。閉山されてからすでに40年余りも経っているので人々の記憶からも次第に遠ざかりつつある。  筆者もかねてから探訪したいと考えていた一人であったが、ついにその機がやってき...

ふるさと再発見 丸山 山口移民 松浦武四郎 石坂 然別

然別の丸山

 丸山と名づけられた山はいたるところにある。近くでは、余市の丸山、塩谷の丸山、それに古平の丸山、札幌のは円山と書くが、いずれも文字どおりお椀を伏せた形をしているので、昔からそのように読んだのであろう。  然別の丸山は、然別川が余市川へ注ぐその落ち口近くに座っていて、山容はハッ...

ストーブ ふるさと再発見 江戸時代 昭和時代 大正時代 明治時代 梨元弥五郎

ストーブのルーツを探る

 今日、ストーブといえば石油ストーブかガスや電気ストーブなどが一般できであるが、かつては薪や石炭ストーブの時代が長く続いた。  ところでストーブが我国で初めて作られたのは150年ほど前の安政3年(1856)で、所は箱館奉行所であった。時に幕府は蝦夷地を再び直轄にし、北辺の警備...

ふるさと再発見 粟屋貞一 開拓 山口移民 大江 明治時代 毛利元徳

大江村の開墾

 仁木町大江地区の開拓は、旧長州藩主毛利元徳[もとのり]公が、明治4年、廃藩置県のあと、旧藩士民の困苦窮乏を打開するために北海道の開拓と北辺の警備を兼ねて計画されたものであった。  最初は、石狩国空知郡幌向太[ほろむいぶと]をと考えたが、この地は融雪期に毎年のように石狩川が氾...

アイヌ民族 ケプロン ふるさと再発見 松浦武四郎 大江 地名語源

大昔の大江

 国道5号線が、通称水野の坂を下り、七曲り橋のたもとにさしかかると、行く手は大江2丁目から3丁目にかけての田園が広がり、小学校や保育所、それに農協や雑貨店などもとけこんでいて大江地区の中心地でもある。  この付近一帯は、大昔から人が住みついていたらしく、開墾当時は畑のあちこり...

ふるさと再発見 国道5号線 種川橋 宿屋 商店 明治時代

種川橋の界わい

 仁木平野のほぼ真ん中を蛇行しながら北に向かって流れている種川は、やがて国道5号線を横切って余市川の本流に注いでいる。  その国道に架かっているのが種川橋であるが、元来この辺一帯は、大昔余市川が大きくうねり込んだ、言わばその古川跡が広がっていて水害に弱い所であった。  近...

ふるさと再発見 愛媛移民 銀山 山口移民 山道村 仁木村 然別 大江村 長沢 砥の川 徳島移民 馬群別 尾根内 明治時代 余市川流域

余市川流域の開拓

 幕末まで「石狩領余市持」と言われていた余市郡は、明治5年から開拓使札幌本庁の直轄地であった。  明治12年11月、原野100万坪の貸与を受けた徳島県の開拓移住民117戸は、仁木竹吉氏に引率され余市川下流の平地に開墾の鍬を下ろした。明治14年、開拓使が現地を視察し、思いのほか...

ふるさと再発見 岡本監輔 黒田清隆 松浦武四郎 仁木竹吉 徳島移民 明治時代

阿波国の移民が仁木の地を発見するまで

 仁木町(仁木地区)は、明治12年11月、阿波[あわ]国(徳島県)から仁木竹吉に引率された農業移民団370余名が、はじめてこの地を踏んでから今年で満110年目を迎える。  「厭[いと]うまじ君の国との為なれば、身は北海の土となるとも」と、今は仁木町の開祖として町民から仰がれて...

ふるさと再発見 歌 昭和時代 大正時代 明治時代 流行歌 労働歌

はやり歌と世相

 歌は世につれ世は歌につれ、と言われるように流行歌[はやりうた]はその時代の世相を反映していると言えよう。  明治時代のはじめ、徳島県から北海道へ渡り仁木村に落ちついた我々の父祖達は、原始に近い荒山を開墾して麦や雑穀の類を作り、自給自足を計りながら、阿波の特産物であった藍の栽...

ケプロン ふるさと再発見 ヨイチ越え山道 ルベシベ通行屋 明治時代 余市川流域

ケプロンの見た仁木町

 ホーレス・ケプロンは、アメリカ合衆国農務局長官であったが、北海道開拓使次官黒田清隆の要請を受けて来日し、明治4年から3年間余り、北海道開拓使教師頭取兼顧問となって北海道各地を巡検して幾多の調査や建言を行い、それらをまとめた「ケプロン報文」を提出している。  中でも明治6年8...

ブラキストン ふるさと再発見 ヨイチ越え山道 ルベシベ通行屋 明治時代 余市川流域

ブラキストンの見た仁木町

 ブラキストンは、イギリスの軍人であり、動物学者であるが、幕末から明治にかけて箱館に住み、津軽海峡が北海道と本州との動物分布上の境界線(ブラキストン線)をなしていることを発見したり、北海道の各地を巡って書いた旅行記(『えぞ地の旅』)をイギリスで発表したりした。中でも明治2年の晩秋...

フルーツ街道 ふるさと再発見 モンガク モンガク遺跡 東町 縄文時代

モンガクの先住民族遺跡

 現在、小樽市内から塩谷、蘭島、余市を経て仁木町に至る新道(広域農道)の開削工事がすすめられているが、この路線沿いには先住民族の遺跡や遺物の包含している所が多いので、各地区ごとにその緊急発掘調査が行われている。仁木町においても東町12丁目のモンガク遺跡がその対象になり、北海道埋蔵...

ケプロン ブラキストン ふるさと再発見 ヨイチ越え山道 ルベシベ通行屋 稲穂峠 玉虫左太夫 掘利煕 山田民弥 松浦武四郎 大江 大谷光瑩 島義勇

ルベシベの通行屋

 昔、稲穂峠山麓のルベシベ(大江3丁目)に幕府直轄の通行屋があった。  安政3年(1856)の秋、いわゆる余市越えの新道が開通したので、お神威岬の難所がさけられるようになった。そのため余市・岩内間の旅の行程が1泊2日に短縮され、通行人も急に増えたので安政4年の夏には構えの大き...

さくらんぼ ふるさと再発見 大正時代 農業 明治時代

仁木のサクランボ

 「小さな恋人 サクランボ」などと言われるように、サクランボのイメージは可憐でかわいい。口の中にスッポリ入って、あの色つやのすべすべした感じと独特の形と風味。最近若い人達の間にサクランボの人気がでてきたようにみえる。  仁木町では、近年サクランボの生産がとみに増加し、今まで地...

インフルエンザ スペイン風邪 ふるさと再発見 大正時代 徳島移民 風邪 民間療法 薬

はやり風邪

 昔から「3回風邪をひくと冬になり、もう3回ひくと春になる」と言われたものであるが、昔も今も季節の変わり目には風邪が流行しやすい。中でもインフルエンザ(流行性感冒)には質[たち]の悪いものが多く、こじれて長引いたりするばかりか、余病をも引き起こしかねないので、「風邪は万病のもと」...

ふるさと再発見 一の号 一番地 稲穂国道 駅逓所 嘉屋の坂 庚申堂 国道5号線 種川橋 水野の坂 大江 大江橋 中ノ川 明治時代 羊蹄国道

国道5号線 ー 余市から仁木へ

 函館から長万部、黒松内、倶知安、余市、小樽を経て札幌に至る、その全長281kmにおよぶ国道5号線は、羊蹄国道とも愛称されているが、中でも仁木から国富あたりにかけてを特に稲穂国道とも呼ばれて親しまれている。  さて、この道路の余市・仁木間は、明治初年、北海道開拓使が当時の川村...

ふるさと再発見 鮎見橋 山田の渡し 大江村 渡船場 明治時代 余市川

山田の渡し

 仁木の北町と余市の山田町を結んでいる鮎見橋は、かつては針金で支えられていた吊橋であり、それ以前は「山田の渡し」と呼ばれた渡船場であった。  ここは昔からの交通の要地であって、安政3年には早くも余市川左岸沿いにイナホ峠を越えて岩内へ通ずる街道が開けていた。  明治4年には...

ふるさと再発見 ヨイチ越え山道 ルベシベ通行屋 稲穂峠 桐谷峠 山田民弥 七曲り 然別 大谷光瑩 砥の川 島義勇 東本願寺 明治時代

余市山道を越えた人々

■大谷光瑩一行 明治維新、当時徳川幕府にくみしているとみられていた東本願寺が、勝ち戦に乗じた薩摩や長州軍のために、あわや焼打ちという瀬戸際に立たされた。  あわてた東本願寺新門跡大谷光瑩[こうえい](現如上人)は、「徳川家の由緒の儀は軽く、天恩の儀は重く候へば決して心得違...

ふるさと再発見 移民 漁別 元木孫市 甲崎金次郎 地質 地名語源 長沢 渡船場 農業 明治時代

長沢開墾の聞き書き

 仁木町の長沢地区は、余市川の中流右岸にあって対岸の尾根内地区とともに町の南端にあたっている。  長沢は赤井川カルデラ盆地の外輪山の南西部を占め、大部分が起伏の多い火山性土の傾斜地からなっている。  この山地を長沢川、ポン長沢川、漁[いざり]別川などが削っていて、その下流...

ふるさと再発見 ルベシベ通行屋 開拓 江戸時代 根曲がり竹 笹 明治時代

開拓時代と笹

 北海道の山野に自生している笹の類にはミヤコザサ、クマイザサ、チシマザサなどがある。  ミヤコザサは太平洋沿岸の平地や丘陵地などに多く広がっており、日本海側や内陸地には少ない。  クマイザサは葉が3枚〜9枚付き、茎はほとんど直立で草丈は1m〜2mに達し、葉のまわりが白くなる...

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