仁木で暮らす
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ふるさと再発見 歌 徳島移民 農業 民間伝承

昔の百姓歌

 明治初年、阿波の北方[きたがた](吉野川流域地帯)から北海道に渡り仁木に落ちついた人々は、麦や雑穀作りと共に郷里の名産である藍の栽培に意欲をもやした。  藍の耕作には重労働がつきまとうが炎天下の収穫どきの厳しさは殊更であったという。  「唄いますぞよションガイ節を歌は仕...

ふるさと再発見 歌 子ども 徳島移民 民間伝承 遊び

昔の子供の歌

隣で餅つく きねの音 きね貸しても 餅くれん うちでもつかんせ(搗きなさい) お父さん 姉さん せいろを洗わんせ お守り お砂糖買うてこい 一臼 二臼 三臼 四臼 五[いつ]臼 六[む]臼 七[なな]臼 八[や]臼 九[ここ]の臼 十[とう]臼 いちもんめ  ...

ふるさと再発見 黒曜石 土木沢 道 縄文時代 尾根内

黒曜石の道

 黒曜石は別の名を十勝石とも言うが、その名の通り真黒くて硬い石で、そのにぎりこぶしくらいのなら、今でも余市川の河原に転がっているのを見かける。  打ち砕くと貝殻のような割れ口をみせ、透き通った鋭い刃をもっている。筆者も小学生のころ、黒曜石を「ビンドリ石」と呼んだりして、そのか...

ふるさと再発見 モンガク 海成層 丘陵地 地質 土壌 東町 農業

むかし海だった丘陵地

 余市川の下流に広がっている仁木平野は、誕生してから1万年にも及ばない沖積平野である。その東西を占めている高さ100m内外の丘陵地帯は、今から1千万年も大昔に起こった海底火山の噴出物からなっていると言われている。  それを解く鍵とも言える地層がこの丘陵地帯のあちこちに顔を出し...

ふるさと再発見 稲園 松浦武四郎 地質 泥炭地 土壌 土地改良 東町

余市平野の泥炭地帯

 仁木町東町稲園地区あたりから余市海岸にかけての低平な水田地帯は、かつて仁木谷地、山田谷地、大谷地など一般に「ヤチ」と呼ばれていたところであった。  ヤチは谷地または野地とも漢字を当てているが、もともとアイヌ語であるらしく、ヨシやスゲなどの生い茂った中に、ところどころ浅い沼な...

ふるさと再発見 りんご 昭和時代 大正時代 農業 明治時代

仁木りんごの由来

 りんごの発祥地は中央アジアであると言われている。  その原生種(野生種)がロシアのコーカサス地方を経てイタリア、フランス、ドイツ、イギリスなどの諸国に拡がり、さらにアメリカ合衆国やカナダに渡った。  この間、ヨーロッパや北アメリカ大陸で品種の改良が加えられ次第に優良な品...

ふるさと再発見 ヨイチ越え山道 ルベシベ 稲穂峠 山道駅 松浦武四郎 大江 地名語源

ルベシベ

 余市川の支流である稲穂川の流域一帯を「ルベシベ」と呼び、仁木町の小字名の一つであったが、現在は大江3丁目に編入されていて稲穂峠へ通じている国道5号線がそのほぼ中央を走っている。  明治37年(1904)7月、現在の函館本線稲穂トンネルが貫通するまで短期間ではあったが「山道駅...

アイヌ語 ふるさと再発見 モンガク 赤井川道路 地名語源 東町

モンガクと言うところ

 モンガク、それは忘れ去られようとしている仁木の古い小字[あざ]の名である。  登町の追分[おいわけ]付近から西に向かって流れ仁木町東町16丁目山田幸吉氏の地所わきへ落ちている小さな谷川筋をモンガクの沢というが、この沢の両岸に広がっている小高い丘陵地一帯をモンガクと呼んでいる...

ふるさと再発見 後志種川 鮭 地名語源

種川と鮭

 仁木町内には、種川と呼ばれている川が二つある。銀山種川と最近後志種川と改称された仁木の種川である。  開拓当初の古老達の言い伝えによると、秋ともなれば鮭が川面に盛りあがるように遡上し、手近にある鍬や熊手などでかきよせたり、岸辺にあふれたのは手づかみで捕獲されたほどだったとい...

ことわざ ふるさと再発見 農業 民間伝承

農耕生活の知恵

 仁木町内に言い伝えられている「ことわざ」の類を収集していたところ、やはり農耕に関係あるものが一番多いようである。それらの中から主なものをひろい挙げてみると 梅花が下向けば梅の豊作 桜の開花が遅い年は凶作 ー 今年は梅も桜もプラムも桜桃も平年より10日以上早く開花した。...

ふるさと再発見 温泉 火山 崖崩れ 鉱山 大江鉱山 断層 余市川流域

余市川流域の断層

 最近、赤井川盆地のほぼ中央に温泉が発見された。1,535mほどボーリングしたら摂氏40数度の温泉が湧出したという。  赤井川村にはこの他にも丸山下や北丸山の麓にも温度は低いが温泉はあるし、アメマス岳の湯ノ沢にもその兆しはあった。  試みに地形図を広げて余市川温泉に目を落...

ふるさと再発見 山口移民 仁玄寺 仁木神社 大江神社 徳島移民 望郷樹 無量寿寺

仁木町の望郷樹

 開拓の鍬がうち下ろされてから100年をすぎた仁木町。当時の開拓者はすでに世を去られたが、その頃の人々が故郷の樹木を心の拠りどころにと、徳島県や山口県などから取りよせた苗木はそれぞれ開墾地の神社や寺に、また自宅の庭さきなどに植え込まれた。それは遠い昔を思い出せる記念の樹となって今...

ふるさと再発見 ヨイチ越え山道 稲穂峠 岡本監輔 江戸時代 松浦武四郎 仁木竹吉

仁木町と松浦武四郎

 蝦夷地の探検家であり、北海道の名づけ親として知られている松浦武四郎は、当時蝦夷地と呼ばれていた北海道を前後6回にわたってくまなく歩いたが、その頃西蝦夷地と言われた日本海岸沿いの旅は3度試みている。  中でも弘化3年(1846)4月、松前から石狩を経て宗谷へ向かう途次、余市に...

ことわざ ふるさと再発見 梅 民間伝承

梅に関する言い伝え

 仁木町の、主として古老の間に言い伝えられているいろいろな俚言[りげん](ことわざ)などを収集していたら、その中に梅に関係するものがたくさんあるのに気がついた。 ・梅の花が早く咲くと、実がならない。 ・梅や桜の花が横向きに咲けば風、下向きに咲けば雨、上むいて咲けば晴。 ・...

ふるさと再発見 ヨイチ越え山道 稲穂峠 江戸時代

イナホ峠の高札

 然別の五剣山付近から大江・銀山・尾根内にかけての、余市川砂岩に連なる山々の秋は、いつもながら見事であるが、中でも稲穂峠にかかる旧山道脇の紅葉は圧巻である。  今年の紅葉は特に美しかった。それは夏から晴天の日が多く、台風などの強い風が少なかったせいであろうか。  その見事...

ことわざ ふるさと再発見 ヨイチ越え山道 稲穂峠 天候 民間伝承

稲穂峠の気象

 「坂は照る照る鈴鹿は曇る、あいの土山[つちやま]雨が降る」 ー 江戸時代、東海道は鈴鹿峠越えの馬子唄の一節である。  伊勢と琵琶湖のほぼ中程を南北に連なる鈴鹿山脈を境に、その東の麓にある宿場町の坂下では好天でキラキラと日ざしがしているのに峠にさしかかる頃には雲行きが怪しくな...

ふるさと再発見 庚申信仰 仁玄寺 西町

仁玄寺境内の庚申さん

 仁木町西町の仁玄寺境内に見事な青面金剛像を刻みこんだ庚申さんの石塔がある。  その台石には明治33年(1900)正月吉日、施主杉本政蔵、世話人武市悦造、片山和造、鳥海伊之吉、島田政吉とあってこれらの方々の協力によって建立されたものである。  石塔には硬い安山岩に切り石の...

ふるさと再発見 庚申信仰 北町

一番地の庚申さん

 仁木町には庚申塔が二カ所祀[まつ]られているが、その一つに北町11丁目の通称「一番地の庚申さん」がある。  2間四方位の祠堂内には明治21年(1888)10月、笠井万治他数名の方が世話人となって建立した青面金剛とその両側に無銘の仏像が並んでいる。  この青面金剛は温容な...

ふるさと再発見 化石 火山 五剣山 然別 地質

然別川から出た貝化石

 「然別の五剣山には貝の化石がある」とか「五剣山の岩壁には貝がらがくっついている」と。  わが仁木町では古くからこんな言い伝えがある。ところで近年大然別沢ぞいに林道が開削されたが、その支流通称アメマス川づたいの林道取りつけのため崖の一部を削り取ったところから貝の化石層が露出し...

ふるさと再発見 火山 赤井川カルデラ 大黒山 地質 余市川カルデラ

カルデラの中の仁木町

 稲穂峠から眺めると尾根内・長沢・銀山・大江・然別にかけての谷底平野はきれいな環状で、その上には見事な水田や畑が広がり、ほぼ真中を余市川が時計廻りにぐるりと廻って余市湾に注いでいる。稲穂の連山もその急斜面を谷底平野に向けながら半円状にとりまいている。この様に山脈も川もそして平野も...

アイヌ語 サッテクベツ ふるさと再発見 フレトナイ 漁別 古別沢 真駒内 然別 地名語源 得志内 馬群別 尾猿内 尾根内 平内

内(ナイ)と別(ぺツ)

 北海道や東北地方には内と別のつく地名がびっくりするほどたくさんある。わが仁木町もその例外ではない。得志内・尾猿内・平内・真駒内・フレトナイ・尾根内・然別・サッテクベツ・古別沢・馬群別など十指をはるかにこえる。  ところで、このナイもぺツも川を表すアイヌ語系の地名であるが、北...

ふるさと再発見 モンガク 銀山 大江 土壌 東町 氷河時代

氷河時代の遺したもの ー 赤い土と灰色の土 ー

 大昔、それも200万年という遠い昔から現在にかけて、地質時代名は第四期と呼ばれ、別名を氷河時代ともいう。  この氷河時代には何回にもわたって寒冷な時期(氷河期)と温暖な時期(間氷期)とが交互にやってきた。中でも最後に来襲したウルム氷河期という寒冷期は今から7万年くらい前から...

ふるさと再発見 モンガク遺跡 遺跡 金光遺跡 土器 東町 縄文時代 尾根内 北町

仁木町から出た擦文土器

 仁木町へ和人が入植する前はアイヌの人達が狩猟や漁労の生活を営んでいたことは、古い記録にもあるし古老などの言い伝えもある。  しかし、それ以前のことは地中から出てくる遺跡や遺物に頼るしかない。仁木町でこれまでに出土したものは、東町16丁目のモンガク遺跡や、同6丁目の金光遺跡...

ふるさと再発見 開拓 三井物産 徳島移民 農業 明治時代 藍

仁木町の藍作

 藍[あい]は青色系の紺色や浅黄[あさぎ]色(水色)などを染め出す植物性の発酵染料であって、明治末期まで阿波の吉野川下流沿岸地帯すなわち北方と呼ばれる地方が全国的な主産地であった。仁木町の開拓は主としてこの藍作地帯から入植した者が多い。従って、当初から藍作を試みる予定であったとみ...

ことわざ ふるさと再発見 天候 民間伝承

仁木町の天気俚言

 仁木町に言い伝えられている天気予知に関することわざ(俚言[りげん])に、 ・朝雨に傘持つな ・朝ぐもり夕につかり ・朝焼けは雨、夕焼けは晴れ ・西がくもれば雨になる ・朝霧が深いときは晴れる ・雲の行き違いは雨になる ・ミズマサ雲(いわし雲)が出たら雨が近い ...

ふるさと再発見 ヨイチ越え山道 遠山金四郎 桐谷峠 掘利煕 江戸時代

ヨイチ越えの山道

 現在の共和町国富から、稲穂峠を越えて仁木町を通り、余市に至る道路をかつて「ヨイチ越え山道」と呼んでおり、つい最近まで上山道[かみさんどう]村(大江)、下山道[しもさんどう]村(豊丘)の地名が昔の山道筋の名残をとどめていた。  この山道が完成したのが安政3年(1856)の秋で...

ふるさと再発見 阿波踊り 徳島県

阿波踊りの由来

 「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々」と仁木町での阿波踊りも数年前父祖の郷里徳島県川島町と姉妹町の関係を結んで以来、年を追って盛んになり毎年のお盆には勿論、町の諸行事の中に色々と趣向をとり入れてそれに花を添えていることは、仁木町内のみならず近隣の町村でも好評のようである...

ふるさと再発見 遺跡 岩石 黒曜石 石器 地質 地名語源 土木川 縄文時代 尾根内

尾根内の黒曜石

 仁木町の南部を占める尾根内は南の山麓から鳥居川、下尾根内川、中尾根内川、上尾根内川、土木川などがそれぞれ余市川に落ち合って、やや広い沖積地を造っており、山沿いの段丘状の小丘は赤井川ロームと呼ばれる火山灰が堆積していて赤い地肌を覗かせている。  その後に屏風の様に立ちはだ...

ふるさと再発見 火山 角ノ沢 岩石 鉱物 地質 砥の川

砥の川の砥石

 南と西と北の三方は山をめぐらし、東は余市川を距てて仁木の市街にのぞんでいる砥の川は、かってアイヌ語でルイオツ(砥石の出るところの意)と呼ばれていた所でこれが現在の地名のもとになったものと言われている。  砥の川へ和人がはじめて入植したのが明治23年(1890)頃とされている...

ふるさと再発見 稲穂峠 江戸時代 松浦武四郎 余市川

仁木町の夜明け前

 今から100年前、徳島県、続いて山口県から移民が入植した時点を仁木町の夜明けと考えれば、それまでのこの地は原始に近い森林や草原におおわれ、川のほとりにはアイヌ民族のコタン(村)が点在していた。地名もヨイチ領で、現在の余市郡即ち余市町、仁木町および赤井川村を含んでおり、余市川の左...

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